始末とは臭いもの


明治の中ごろ、鴨川の東条松原の永明寺に禅師がおりました。(現在の本堂はこの和尚が造ったそうです)
和尚は当時12歳で東条小学校に通学していた、有(たもつ)という小僧を大層可愛がっておりました。(有は成人し有展となりました)

この小僧、みだしなみが良く、黒の兵児帯に、四つにたたんだ手拭をいつも腰にはさんでいるのが人目につきました。
その上、この小僧はきれい好きで、いつも厠(かわや)から出てくると、15分〜30分間は丁寧に手を洗っています。

ある時、この寺に来客がありました。
和尚は有に紙を与えて

「これは鼻をかんだり便所で使ったりするものだよ」

と教えておきました。
そして和尚さんは、客人達に自慢顔で、きれい好きの小僧のことを話しました。
特に厠から出てよく手を洗うところは、よく見て頂きたいと言っておきました。

そのうちに有が厠へ入る時が来ました。
和尚さんは有の自慢が出来ると心の中で喜びました。

有が出て来て、いよいよ客人に有のきれい好きの所を見せられると思っていました。
ところが、意外にも有は厠から出ると、手洗い場を素通りして、庫裡(くり/和尚さんの住む所)の方へ行って止まりました。
終始この様子を見ていた一同はともあれ、一番失望したのは和尚さんでした。

客が帰ってから、和尚さんは有を呼び、どうして厠から出て、手も洗わずに去ったのか聞きました。
有は真顔で

「和尚様が紙を下さったので手を洗わずに済みました」

と答えるではありませんか。
和尚さんはかんかんに怒って

「この馬鹿者、人間は悟を開いて始末しろ」

と一言いましたが、有は

「悟を開いて始末しろって、どんなことですか」

と尋ねました。
そこで和尚さんは、

「始末とは、例えば鼻をかんだ紙を大切にしておいて、便所で使うような事だ」

と答えました。有は

「始末ってそういう事か」

と尻を拭いた紙で、鼻をかむとは臭いものだ、と感心しました。


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