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加茂川に渡し舟があった頃の話しです。
河畔に「萬源」というのれんをかけた茶店がありました。
鴨川橋が出来てた後に、源さんの妻君と娘が開いてた店で、いつもきれいに掃除されているキチンとした店でした。
源さんは清水の次郎長のような義理人情の厚い義侠人でした。
「まんげ」という名の起こりは、源さんの眉毛が薄く、眉に入れ墨をしていたことからそう呼ばれ、次第に「まんげの源さん」になり、そこから「萬源」という名前も生まれました。
ところでその源さんについて、江戸の吉原では「まんげの源さん火事よりこわい。法螺屋のおかみさん丸はだか」と唄われていました。
どうして源さんのことが吉原で唄われるのか、そしてこの唄の意味はというと・・・。
その昔、江戸の吉原遊廓が繁昌した頃、青年だった源さんはこの色街へ随分通いつめたそうです。
源さんは遊廓・法螺屋に通いつめているうち、なじみ女郎衆やあげくの果てに、おかみの物まで持ち出して質入れし、バクチをうったり酒を飲んだりしてしまったのです。
そんなある時、江戸が大火事になり、吉原遊廓が火事になりました。
法螺屋も丸焼けになってしまいました。
しかし、源さんがいろいろ入質していたおかげで受け出してすぐ復旧することが出来ました。
それで
「まんげの源さん火事より可愛い、法螺屋のかみさんまるもうけ」と唄われたのです。
「火事よりこわい」の方は後に広まった替え唄で、本当はこう唄うのだそうです。
火事で丸焼けになって得をしたということで、江戸中に広まったそうです。
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