日本武尊九頭龍伝説


 鹿野山麓の鬼泪山(きなだやま)に、九頭・九尾の全長10mあまりの大蛇が棲みついていたという伝説があります。
大蛇は村人を襲い、餌食にしていました。
村の長が都に使いをたてて大蛇退治を請願したところ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が大蛇退治に遣わされて来ました。

 村人がその恐ろしさをミコトに語ると、ミコトは腰の剣の鞘をはらい
「絶対にこの剣で大蛇を退治してみせる」
と誓い、村人の案内で小川沿いの道を鬼泪山に分け入って行きました。

 3日程たったある日。
村の娘が小川で洗濯をしていると、小川の澄んだ水が血に染まっていきます。
娘は叫び声をあげ、村人が集まって来ました。

「ミコト様が大蛇を退治した血汐に違いない」

と話し合っていると、ヤマトタケルノミコトが現れました。

「大蛇の現れそうな所で昼寝をしていると、九つの頭の蛇が現れた。
 一つの頭が私を一呑みにしたので、剣を抜き、蛇の腹の中を滅多斬りにし、
 腹に大穴をあけて外へ這い出し、九つの頭を次々に切り落として帰って来た」

と言い、立ち去りました。

「この川の赤い水は九頭の大蛇の体から流れ出た血で染まった」

というミコトの言葉を信じた村人達は、後にこの川を血染川と呼ぶようになりました。

 この蛇を祀った「九頭竜権現」が神野寺仁王門にあります。
また、測地観測所の下に「蛇堀」とか「大蛇作」といわれる所があり、大蛇の棲息していた場所だと言われています。

 この伝説は、出雲のヤマタノオロチ神話に酷似しています。出雲神話の方はスサノオノミコトが八頭八尾の大蛇・ヤマタノオロチを成敗し、頭や尾を切り落とすとオロチの血が川を真っ赤に染めたという話しです。
 出雲神話とヤマトタケルとの接点としては、スサノオがオロチの尾を切った際に出た剣が、後のヤマトタケルの神剣・草薙(くさなぎ)の剣であること。また、ヤマトタケル自身も房総来訪以前に出雲征伐を行ったとされています。
 日本神話は、天皇家の祖先とされる天津神の物語と、出雲を中心とする土着の国津神の物語に大分されます。国津神を日本列島古来からの縄文系民族、天津神を渡来系弥生人ではないかとする説があります。出雲神話に類似する伝説は、遠く離れた関東にも多く見られます。縄文人が東日本に多く分布していることや、千葉県内の多数の縄文遺跡の存在、更には、ヤマトタケルが大和の東日本平定の象徴であることも、この説と符合します。出雲のオロチも鹿野山の九頭龍も、蛇ではなく、縄文系の権力者だったのかもしれません。鹿野山も縄文時代まで遡りうる霊山である可能性があります。
 ヤマトタケルノミコトについては「
房総の歴史ページ」も参照して下さい。 (千葉情報館/Minstrel)


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