| 大同年間(806〜808年)、印旛沼の入江にあった頃の清戸(白井町)は、民家が7〜8軒ほどの静かな集落でした。2〜3年続きの大干ばつに見舞われ、田畑はもちろん川まで一滴の水もなくなり、村人は飢えと乾きに苦しみ、相談の結果、雨乞いをすることになりました。しかし、氏神鎮守はなかったので、小さな祠に雨乞いをしていました。 お祈りを始めて6日目頃、どこからか墨染めの衣をまとった老僧が現れ、祈祷に加わり「雨乞いをするなら、まず龍神に祈り、五穀を供え、一心不乱に一昼夜祈りなさい。そうすれば必ず天に通じるはずだ」と言いました。すると翌日、雷鳴轟き大雨とともに小蛇のようなものが3つにきれて落ちてきました。老僧は「これは龍神であるから、これを祀り、そばに池を掘って弁財天を建てなさい。そうすれば、今後どんな干ばつにも水の絶えることはない。そして、青龍のお陰で水を得て潤った土地なのだから『清土』と名付けなさい」といって立ち去りました。その後、いつの間にか「清土」が「清戸」に変わり、現在の地名になったそうです。 この弁天様は現在、県指定の史跡として、船橋カントリー倶楽部8番ホール左側のくぼ地に残されています。 |