「千葉」の語源を考える高坂英吾

 明らかなアイヌ語源の地名は北海道に多く、「◯内」「◯別」というような地名はその典型です。
 東北地方にも少数ながら存在しますが、関東以西にはまったくありません。これを理由に関東以西には「アイヌ人はいなかった」とか「アイヌ起源の地名はない」と決めつけてしまっているものを見かけます。
 しかし、「◯内」「◯別」のような典型的アイヌ語起源の地名がないからといって、アイヌ語源の地名が関東以西にないとは言えません。関東以西では早くに大和文化下に入ったため、露骨な影響が見えないだけなのです。
アイヌ
 アイヌ人は縄文人の子孫であるという研究成果があります。かつて、日本列島には縄文人が住んでいましたが、そこに大陸から渡って来た人たちにより弥生文化がおこりました。縄文人たちは、弥生文化に溶け込む者、戦って敗れる者、逃れて遠方に移住する者と様々でしたが、この中で、東日本、東北、そして北海道と逃れた者が、後のアイヌ人であるというのです。

文化の化石
 地名は「文化の化石」と言われるほどに、太古の姿を残している場合があります。縄文人が、かつて日本の主だった時代に残した「文化の化石」の一つに「千葉」が挙げられると考えてみます。太古の昔、房総半島にいた縄文人が「千葉」の名付け親ではないか、そう考えたくなるほどに「千葉」の語源は不明なのです。

大山元氏の『古代日本史と縄文語の謎に迫る』
 2001年7月に『古代日本史と縄文語の謎に迫る』(キコ書房)という本が出版されました(初版時は別タイトルでしたが内容は現在とほぼ同じ)。この本の中では、縄文人が話していた言語がアイヌ語の中に残っているのではないかということを、多くの例を挙げて解説していてとても興味深いものがありました。現代日本語だけでは決してわからない意味合いが、古い神話の中に含まれている等、新しい発見が色々あって古代史愛好家には是非読んで頂きたい1冊です。
 著者の大山元氏のサイト『dai3gen.net』では、アイヌ語から日本古代史の謎について様々なアプローチをしており、素晴らしい研究成果をいくつも挙げてあります。今回の「千葉の語源」以外にも興味がある方はホームページを覗いてみて下さい。

「千葉」がアイヌ語の可能性
 さて、房総には加曽利貝塚をはじめとする縄文遺跡が非常に多く、アイヌ語を介し「千葉」の語源が分からないだろうかと調べていたところ、ある本に「アイヌ語のティップ・パが語源であろう」と書かれていました。これがやがて「チバ」になったのではないかと説明していました。意味は「舟つき場」だそうです。千葉は東京湾内の内海にあり波が穏やかなため、古代から天然の良港だったことが分かっています。一見、千葉にぴったりな語のように思いますが・・・。
 このあたりを大山元氏に直接質問してみました。

まず、「ティップ」という語はありません。近いもので「chip(cipとも書く)」があります。「船」の意です。
「pa」は多様な意味があり、「舟つき場」に近いものでは「kusa-pa」がありますが、「pa」は動詞の「kusa(渡す)」を複数形にし、繰り返しを意味するので、意味は「いつも渡す」という感じになります。恐らく「kusa-pa」が「船着場」に近い意味を持ちうるので、そこからの類推かと邪推しますが、完全に間違いです。「pa」を拡大解釈し日本語の「場」とみなし、「渡し場」のように考えるのはかなりの無理があり、アイヌ語の語法から外れていると思います。

 なんと、私の調べた「千葉」の語源「ティップ・パ」説は間違いだということでした。
 ところが、「ティップ・パ」は間違いだとしても、他に可能性があるということなので、聞いてみました。

千葉の語源を考えるなら「網走」が参考になります。

「網走」は、アイヌ語の「a pa sir」が語源で、「吾・見つける・島(国)」の意だ、という説がありました。「網走」はその昔「チパシリ」と呼ばれていて、この内「chi(ciとも書く)」は「a(吾)」と交代可能ですので、昔の「チパシリ」が「アパシリ」に変化したという説です。

これに対して知里真志保氏(アイヌ語の権威の言語学者)は「chipa」という語が、「inaw-san(幣・棚)」の古語で、「イナウを祀った島」ほどの意味である、としています。
これは、田村鈴子氏の辞典によっても「inaw-cipa」で「幣(ぬさ)場」という意味を与えているので「チパ」に「イナウ」「幣」が関係していると思います。

 「網走」は本来「網走」ではなかったのですね。本来は「チパシリ」で「イナウの島」だったものが、「チ・パ・シリ」で「吾・見つける・島」と勘違い(?)し、「チ」と「ア」を交換してしまったという、知られざる経緯があったということのようです。
 さて本題の「千葉」ですが、「千葉」も「網走」も、意味的にはかなり近い地名だということになるようです。アイヌ語で考えた場合、「イナウ」「幣(ぬさ)」がキーワードのようです。
 しかしこの言葉、現代人にはあまり馴染みがないためにピンと来ません。

イナウ、幣
 「イナウ」「幣」とは一体、何なのでしょう。辞典を調べると、イナウとは「アイヌの神事に用いる木製の幣束。柳やミズキなどの棒を皮つきのまま、あるいは皮を取り去って切り込みを入れたり、削りかけをつけたりしたもの。役割は日本の幣に類似する」とあります。いまひとつわかりにくいですが、要するに神事に祭壇に立てて飾る、フサフサしたものです。
 幣については「神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。古くは麻・木綿(ゆう)などを用い、のちには織った布や紙を用いた。みてぐら。にぎて、幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)」とありました。
 これも(材料は違うものの)イナウと似たようなものです。もともとは同一のもののような気がしますが、ここでは触れません。
 分かったような、分からないような気分の方には続きがあります。

神話と房総
 神話によると、神武天皇の時代に天富命(アメノトミノミコト)が四国の阿波からやって来て、麻の栽培に成功したので総(ふさ)の国と名付けたとされています。
 しかし、これでは「麻」と「総」の関係がまるでわかりません。天富命は居住地に故郷と同じ「アワ」という名をつけました。「安房」にも「フサ(房)」という字が含まれています。「アワの国」と「フサの国」を総称し、やがてこの地方は「房総」と呼ばれるようになりますが、「房」も「総」も「ふさ」と読みます。何か関係があるのでしょうか?
 神話は史実ではありません。しかしまったくの創り話しでもありません。その国、その文化、宗教に深く根ざした太古からの物語で、何らかのベースになる出来事があったと考えられます。天富命の神話の場合でも、四国方面から移住して来た一団がいたことは恐らく史実だと思いますが、そもそも神武天皇がいつの時代の人かもわからず、もしかすると古い縄文時代かもしれません。ダメもとで、再びこのあたりを質問してみたところ、意外な答えが返ってきました。

「千葉」が「chipa (幣場)」に発するものかも知れないとしましたが、「フサ」も同様の関連がつくかもしれません。
「pusa(≒総・房)」という語彙はアイヌ語の辞書にあります。縄文起源で日本語にもアイヌ語にも採用されたものなのか、どっちかからどっちかへ、後年借用された語なのか、興味が持たれるところです。
アイヌの幣とは、木幣であり、木棒の削りかけ、と呼ばれるものです。これの形状を「房」とみることもできそうで、「chipa」も「pusa」も共にイナウに関わることになります。縄文時代まで遡りうるのだろうか。
ただ、アイヌ語には「フサ」を意味する語が他にも、「tumus」と「etoro」があるようなので(萱野辞書)、このどちらかがアイヌ語本来の語彙で「pusa」は日本語からの借用なのかもしれません。ここのところは判りません。

 一見、何の関係もないと思える「千葉」と「房総」が、古代では「イナウ」をキーワードにつながっているといそうだということです。一体、誰が「千葉」と「房総」を同じ語源だと考えるでしょうか!
 伊勢新宮のお札は「大麻」と書いて、江戸時代迄は「おおぬさ」と読んでいました。つまり「麻」は「ぬさ」なのです。アイヌ語には「麻」は見当たりませんが、アイヌ語の「nusa」は「祭壇」の意味で、「祭壇」は「inaw-chipa」ともいいます。複雑に絡み合っていますが、「麻」「幣」「イナウ」あたりが非常に密接な関係にあるということは言えるのではないでしょうか。

更に!
 大山元氏の『古代日本史と縄文語の謎に迫る』の中に「因幡の白ウサギ」の神話をアイヌ語で解いている部分がありました。それに関連して、昔、因幡にいた部族が東に移り住んだところが印旛になったのではないかという内容の本を読んだことを思い出しました。「イナバ」と「インバ」は発音的にはとても近く、昔は同一だったと言えると思います。これについても何か関連があるかと、大山元氏に質問してみました。

「インバ」は「イナバ」と同語と捉えることも可能でしょう。「イナバ」は「inaw pa(イナウ・岬)」と考えています。
北海道地名の稲穂町、稲牛、イナウ・シレトゥが参考になります。別の候補は、「in-pa」で、「見る・岬」「見る(複数)」もありそうです。(in だけで独立の動詞と捉えることは通説には反していますが、『知ってびっくり』のP77あたりに書いたように、「in」を「nu」と同様に見るの語根と考えるのが良いのではないか、と思ってます)
「千葉」が「chipa」であることが、多少信憑性が出てくるのは、「inaw-chipa(幣場)」、「pusa(房)」(イナウのフサも?)、というイイガカリがつくからです。そのような、イイガカリ、または考古学的(発掘)発見が無いと、語呂合わせに過ぎない、とされるでしょう。
そういえば、 安房郡富山町の伊予大明神にはイナウと見まごうものが飾ってありました。

 「印旛」もイナウ絡みの可能性が高く、また伊能忠敬の「伊能」はモロに「イナウ」だと言えます。もちろん千葉には「伊能」の地名も苗字もあります。
 現代日本語では発音の上でも意味の上でもまったく関係のない「千葉」「房総」「印旛」「伊能」が「イナウ」というキーワードを介して関連づけられました。単なる偶然か、語呂合わせにすぎないのか。「千葉がイナウかも」というだけでは、「たまたま発音が似ているだけだ」で終わってしまうかもしれませんが、これだけ揃ってくると「偶然」とは考えにくいと思います。天富命の言葉を明確に説明出来ないでいる中で、天富命はイナウのことを言っていたと考えると、恐ろしいほど意味が通じるように思います。
 「富山町の伊豫大明神にはイナウと見まごうものが飾ってありました」という最後の言葉がとても印象的でした。

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