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千葉駅
千葉駅は現在とは違う位置にありました。右の写真は移転前の千葉駅です。内房線は房総西線、外房線は房総東線と呼ばれていました。
京葉工業地帯
昭和30年代、京葉工業地帯造成計画が立案され、国民所得倍増計画の推進に呼応し、昭和37年(1962年)には工業開発中心の千葉県長期計画が策定されました。こうして浦安から市川、船橋、習志野、千葉、市原、袖ヶ浦、木更津、君津、富津の各市町の100キロに及ぶ臨海部の埋立が実施されていきます。特に千葉市以南には石油化学コンビナート、造船所、火力発電所などが次々に建設され、昭和43年(1968年)の八幡製鉄(後の新日鉄)君津製鉄所の立地は千葉県が本格的な工業県となる上で大きな意味がありました。1960年代以降の高度経済成長期を通じて東京湾臨海埋立地域に大規模な重化学工業地帯が形成され、内陸工業団地の立地も進んだ結果、千葉県の工業出荷額は昭和35年に2100億円であったものが、20年後には9兆9000億円にまで増えています。
印旛沼干拓事業
江戸時代に何度も挑戦し失敗に終わっていた印旛沼開発は、明治、大正そして戦前にも計画されましたが実現しませんでした。敗戦後の食料不足を背景に、昭和21年に印旛沼第一次開発計画が発足し、印旛沼干拓農地が造成され、昭和43年までの約20年間で印旛沼の約半分が埋立てられました。昭和30年からは「治水」という発想から「利水」という方針に変わり、昭和38年には水資源公団に開発事業が移され、京葉工業地帯の工業用水の確保が主目的になりました。印旛沼からは千葉中央工業用水、川鉄工業用水、県上水道(飲料水)、五井・姉崎工業用水等に取水されています。
若潮国体
昭和48年(1973年)6月15日、千葉県では県政100年記念式典が挙行されました。これを記念して同年9月9日から第28回国民体育大会夏季大会が若潮国体と名付けられ開催されました。開会式場にもなった千葉市天台の県総合運動場をはじめ、県内各地を会場に4日間にわたって熱戦が繰り広げられました。
農業
農村も大きく変貌していきます。稲作をはじめ、農業労働の機械化が急速に進み、野菜、果樹、畜産など換金性の高い作物が多く作られるようになりました。その一方で、労働力の流出や農地の転用も起こり、農家数は減ってきています。対照的に、農業外所得の方が多い第二種兼業農家は増加し、全農家戸数の6割近くを占めるようになりました。
人口の増加
戦後日本が高度経済成長を遂げた昭和30年代以降、千葉の様子も大きく変わりました。工業開発や東京に近いという利便性も手伝い、急速に宅地化が進み、昭和30年には千葉県住宅協会により全国初の住宅団地・八千代団地が建設されました。花見川団地、幸町団地、さつきが丘団地等の大型の団地が次々に建設され、人口も飛躍的に増えました。昭和44年に始まった印旛郡、船橋市にまたがる千葉ニュータウンの開発事業は人口34万人の都市を鉄道で都心と結ぶ大規模な計画でした。
県北西部を中心に増大する人口は、昭和43年に300万人に達し、49年に400万人、58年に500万人を超えました。
東京ディズニーランドやスキードーム・ザウスのようなリゾート施設が次々に完成し、湾岸地域の風景は大きく変わりました。
成田空港
千葉港は昭和40年(1965年)に特定重要港湾に指定され、現在取扱い貨物量は全国一位です。日本有数の国際港として海の玄関となっています。
昭和41年(1966年)、閣議で成田市三里塚が空港予定地として正式決定しました。その直後には三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成され、以後争いが続くことになります。昭和53年(1978年)、新東京国際空港(成田空港)が激しい反対運動のなか開港し、日本の空の新しい玄関となりました。
これを踏まえ、昭和58年、千葉新産業三角構想が策定されました。第一に、成田空港を核に国際物流基地と臨空工業団地の整備を進め、国際空港都市を形成する計画。第二に、千葉市臨海部に幕張新都心を建設する構想。ここからは平成元年(1989年)に幕張メッセがオープンし、世界的なイベントや国際会議が頻繁に行われています。第三は東京湾横断道路の実現を前提に、上総丘陵(木更津、君津市)にかずさアカデミアパークを建設する構想です。ここからは平成6年(1994年)にかずさDNA研究所がオープンしています。三角構想はこの3拠点を幹線交通で結び、その波及効果の広がりにより内陸部への先端技術産業の導入など、地域格差を是正しようとする狙いがあります。
東京ディズニーランド
昭和58年(1983年)、東京ディズニーランドが浦安市にオープンしました。「舞浜」は本家アメリカ・ディズニーランドのある「マイアミ」にちなんで名付けられました。本家に匹敵するようなものは日本では無理だろうという大方の予想の予想に反して爆発的人気を呼びました。開園した年の夏休みには1日で9万4000人という入園記録に達しました。
平成13年(2001年)には隣りの東京ディズニーシーが開園オープンし、ディズニーランド、ディズニーシー、ホテル群、舞浜駅前のショッピングモールを結ぶモノレールも開通、ディズニーリゾートとして増々注目を浴びる一大スポットとなっています。
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