房総の歴史 動乱期
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上杉禅秀の乱
 応永23年(1416年)、関東管領でもある上総守護の犬懸上杉朝宗(ともむね)の子・氏憲が反乱を起こしました。これを上杉禅秀の乱といいます。上杉禅秀は氏憲の法名で、鎌倉公方の足利持氏に対して起したものです。
 乱は禅秀の娘を妻とする千葉満胤や婿の岩松満純の他、宇都宮氏、小田氏、三浦氏、武田氏等、地方の国人衆も加え、一時は鎌倉を占拠し新政府樹立に成功しました。しかしこれは一時的なもので、今川範政を頼り駿河へ逃れた持氏が幕府の援助を受け、翌17年に氏憲や満隆、持仲らが鎌倉で自刃した事で収束しました。しかし上総国ではおさまらず、上総本一揆として爆発、禅秀家臣の埴谷重氏を中心とし平三城(市原市)、坂本城(長南町)で再三に渡り抵抗しました。
 禅秀の乱後、鎌倉公方足利持氏は専制化を強め、関東管領・上杉憲実とも対立、また鎌倉府と室町幕府も対立と妥協を繰り返し、これが永享の乱、結城合戦につながります。

永享の乱・結城合戦
 永享の乱では千葉胤直が足利持氏を鎌倉に攻め自殺に追いやり、奉公衆であった印東、木内、神崎などは持氏に従い戦死しています。
 結城合戦では胤直は幕府・上杉方として参加、千葉氏は永享の乱と結城合戦を無事に乗り切りました。千葉胤直はこの直後、香取社、龍腹寺、観音教寺へ次々に寄進しているのも、この結果をふまえたものだと思います。また、その子・胤将は恩賞として、下総・上総の両守護職に補任されました。上総の守護職は約1世紀ぶりとなります。

享徳の乱と千葉本宗家滅亡
 鎌倉府は文安4年(1447年)、鎌倉公方・足利成氏(しげうじ)と関東管領・上杉憲忠によって再興されます。しかし政情不安はおさまらず、宝徳2年(1450年)、江ノ島合戦が起こります。上杉氏の有力家臣である長尾景仲、太田資清(すけきよ)らが成氏の御所を襲撃したのです。この時、千葉胤将は成氏方として活躍しています。胤将らは永享の乱や結城合戦とは一転、鎌倉公方方に属したことになります。
 享徳3年(1454年)、足利成氏による上杉憲忠誅伐事件が起こります。ここから享徳の大乱が勃発します。千葉胤直・胤宣(たねのぶ)父子は再び上杉方として立ち上がります。これに対して成氏方には馬加(まくわり)康胤、原胤房らがつき、千葉胤直・胤宣を千葉城に攻め、さらに千田荘の嶋城、多古城に追い詰め、自害させます。胤直の弟・胤賢(たねかた)も小堤(おんずみ/横芝光町)で自殺、千葉本宗家はここに滅亡しました。
 胤賢の子・実胤・自胤(よりたね)らは曽谷氏、大野氏らの支援を得、市川城にこもったものの合戦に敗れ、武蔵国の逃れ、武蔵千葉氏として残りました。その後、実胤は扇谷(おうぎがやつ)上杉顕房(あきふさ)の娘を娶り、扇谷上杉氏と密接な関係を築いています。
 享徳の乱は成氏方と上杉方の対立によるものですが、千葉氏一族の抗争は馬加康胤には原胤房が、千葉胤直には円城寺氏が控えたように、家臣団を代表する権力抗争でした。康胤についた原氏が以降、房総各地で発展していくことになります。一方、円城寺氏は木内氏らとともに武蔵に逃れ、武蔵千葉氏を成立させました。
 この結果、房総3国は下総古河に移り古河公方となった足利成氏の勢力圏となりました。成氏は幕府の改元に従わず、享徳年号を使い続けています。古河周辺の関宿、栗橋、騎西に成氏方、松山、河越、岩槻、江戸、五十子(いかつこ)陣を上杉方として対峙、膠着状態が続きます。

本佐倉
 文明3年(1471年)、上杉氏の圧迫に耐えかねた成氏は、水路、千葉孝胤(馬加康胤の孫)のもとに入り1年たらず滞在しています。千葉本宗家滅亡後は馬加氏が千葉を引き継ぎ、千葉城から本佐倉(もとさくら)城(酒々井町)に本拠を移していました。
 本佐倉周辺は香取の海に面し、関東各地に通じる多くの港湾都市があり、海上、粟飯原、国分、大須賀、相馬等、千葉一族がひしめき合っていました。千葉氏が本佐倉へ移った頃、有力家臣の原氏も本拠地を小金城から小弓(おゆみ/千葉市中央区生実)に移しています。
 足利成氏在留中の本佐倉は、各地から連歌師が集まり、歌合(うたあわせ)も行われていました。
 文明8年(1476年)、長尾景春の乱が起こります。身内の反乱に危機感を抱いた上杉氏は成氏との和睦をはかりますが、千葉孝胤は武蔵千葉氏への思惑から和睦に反対し長尾景春に味方しました。これに対し、上杉方の太田道灌(どうかん)が孝胤を攻撃、文明10〜11年には境根原(柏市)合戦や臼井城合戦が行われています。臼井城合戦では道灌の弟・資忠(すけただ/図書)が戦死しています。道灌はその後、上総の長南城や真里谷城の武田氏、下総の飯沼城(銚子市)の海上氏などを討伐しています。
 それから3年後、古河公方と幕府の間で都鄙(とひ)和睦が成立、享徳の大乱は一応の終わりを見せました。

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