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『魏志倭人伝』に登場する地名について

対馬 とま 7世紀までには「つしま」に変わる?
一大(一支) いき・いつき 壱岐。「い」と読ませるなら「伊」だろう。厳島神社にも通じる
末盧 まつら 松浦で間違いないだろう
伊都 いと タケミカヅチの父・伊都の尾羽張の神の「伊都の尾張」は出身地名であろう
那の津であろう
不弥 うみ 海の意味だろうか。宇美町が有力
投馬 つま 西都市妻町、薩摩、出雲、、、
邪馬壹 やまゐ 山であろう。
斯馬 しま 島の意味だろう。東遷し志摩になったと思われる
己百支 いおき・いわき 五百木、岩木、岩城、磐城
伊邪 いさ 鯨の古い呼び名。伊佐
都支 つき 都築か。「つし」なら筑紫かもしれない
彌奴 みの 耳納だろう。東遷し美濃になったと思われる
好古都 はかた 博多に違いない
不呼 うか 宇賀、宇迦
姐奴 さの 佐野か
對蘇 とす・とさ 鳥栖、土佐
蘇奴 そね・そな 曾根、曾野、嵯峨、佐賀か
呼邑 こい・かい 肥、恋、古井、甲斐か
華奴蘇奴 かなすな 金砂か 金属の産地と思われる
木、紀伊
爲吾 いが 伊賀
鬼奴 きぬ 衣、木野か
邪馬 やま 山岳地帯。「かも」で神、加茂かもしれない
躬臣 こし・こせ 越、巨勢
巴利 はり 九州には「はり」が多い。前原等。今治、尾張、播磨にも通じる
支惟 きく 菊、企救か
烏奴 うの・あな 小野、宇土、穴門か
狗奴 くま 球磨、熊本、久米

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