血筋の系譜

山中鹿之介


豪商・鴻池家となり、三和銀行となる

 尼子氏再興に生涯をかけて散った知将・山中鹿之介の長男に新六幸元がいる。
 幸元は幼少の頃、播磨・三木城主・別所長治の重臣で、山中氏の一族、黒田幸隆の養子となった。しかし羽柴秀吉の攻撃で黒田城が陥落してからは叔父の山中信直を頼り、摂津の伊丹近くの鴻池村に移った。
 ここで武士を棄て商人として身を立てる決心をし、名を鴻池新右衛門直文と改めた。鴻池村は古くから濁酒(どぶろく)が盛んに醸造されたところで、彼も酒造を始めた。様々な苦労の末、独自の清酒を造ることに成功、陸路、江戸に積み出し大成功する。さらに店を大坂に構え、江戸積みの需要を満たすため海運業も開始、やがては他人の物資の輸送も行うようになる。これだけにとどまらず、西国大名の蔵物を扱ったり、金銀の融通をも行い、大名貸しも始める。
 新右衛門は慶安3年(1650年)に没するが、大坂の店は八男の正成が相続、この人物がのちに幕府の御用両替の十人両替や鴻池新田の経営で有名な大坂一の豪商となる鴻池善右衛門家の初代である。彼は江戸の呉服町に出張所を設け海運業を発展させ、両替業にも手を染め、鴻池善右衛門家の基礎を築いた。善右衛門家は享保年間には両替業に専念し、現在の三和銀行に至る。


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