| 豊臣秀吉の子・秀頼は1615年、大坂城落城とともに、24歳の生涯を閉じた。秀頼の長男・国松は京都に隠れているところを発見され、洛中を車に乗せて引き廻された後、六条河原で処刑された。 当時7歳になる娘も捕えられるが、千姫らの嘆願により助命され、千姫が養母となり鎌倉の東慶寺に預けられた。8歳で剃髪し、後に二十世天秀法泰大和尚となった。不幸な女性救済のために縁切り寺法の確立と東慶寺の隆盛に尽くしたが1645年、37歳でこの世を去る。 この二人以外に、秀頼にはもう一人男子がいたらしい。『浄土本朝高僧伝』などによると、生まれつき賢く秀で、説法にも長じていた求エン上人は晩年、山城の伏見に隠棲していたが、元禄の初め頃80歳で没したらしい。臨終に際し、弟子に自分は秀頼の次男で落城時は3歳であったこと、江戸に隠れてのち増上寺の学僧となったことなどを告白した。壮年時には大坂城の高大な様や伏見城跡の零落を見て世態の流れに慨歎もしたが、晩年には「天下は一人の天下に非ざる」ことを悟り、次の遺言を残している。「汝等(なんじ)宜しく妄執を淘汰して世態に拘泥することなかれ」 |