血筋の系譜

竹中半兵衛


戊辰戦争で官軍に破れる

 1579年、羽柴秀吉の智将として知られる竹中半兵衛は播州三木城包囲の陣中で病没。一子の重門は7歳であった。元服後、重門は秀吉に仕えている。朝鮮出兵の際は幼少のため渡海を許されなかったらしい。
 関ヶ原の戦いでは石田三成の西軍に属していたが、密かに使者を井伊直政に遣わし徳川家康に通じ、領地の美濃に帰り国内諸士の遊説につとめ、結局9月15日の決戦では東軍の先鋒に加わった。西軍敗北後、逃亡する小西行長を捕えている。その後は幕臣として大坂の陣にも従軍し、徳川家光より所領安堵の朱印状を与えられている。重門は和漢の学を林羅山について修め、歌道や文筆にも長じ、その才能を生かして秀吉の一代記『豊鑑』四巻を著述している。
 重門の子孫は幕臣として存続したが、戊辰戦争の際、当主・重固は幕府の陸軍奉行の職にあり、江戸と会津を転戦、箱館では最後まで榎本武揚のもとで官軍に抵抗し、その采地は没収された。


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