| 真田幸村には男2人、女7人の子供がいたらしい。長男・大助は大坂城で豊臣秀頼に殉死したことで有名。 次男の大八は幸村が九度山にいた頃、京都の石合戦に参加したときに事故死している。 九度山に行く前に生まれた梅とあくりの二人は幸村の戦死によって数奇な運命をたどる。大坂の役で伊達政宗の重臣・片倉小十郎重綱は数々の戦功をあげ、夏の陣・道明寺口では真田勢と奮戦している。 大坂城落城の際、城中から白綾の鉢巻に白柄のなぎなたを持った十六、七ほどの美少女が重綱の前へ出てきたので、彼はその少女を捕え、連れ帰り、侍女とした。この少女が重綱の後室となった幸村の娘・梅(のちの泰陽院)である。これは幸村が重綱の武勇と英名に感じてわざと重綱の前に梅を出して後を託したと言われている。この縁故で、幸村の旧臣たちの中から片倉家の家臣となった者が多く出ている。 一歩、あくりは落城後、家康の使番・滝川一積(かずあつ/滝川一益の孫)の養女となっている。一積の妻が幸村の妹であった縁からであろう。その後、あくりは会津の蒲生忠郷の重臣で三春城主の蒲生源左衛門郷喜の子の妻となった。ところが後年、この婚姻が敵の娘を勝手に嫁がせたという理由で、蒲生忠知家の内紛の一因となり、滝川一積も改易の処分を受けるという結果になってしまう。梅に比べ、何とも不憫なあくりである。 |
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