| 豊臣秀吉の天下統一の最終仕上げが小田原征伐であり、これにより北条氏は滅亡する。北条氏直は助命されたが翌年に病没する。氏直に嗣子がいなかったため、秀吉の命により従兄弟の氏盛が継承し、江戸時代に入ると河内の狭山藩一万石を相続し、維新後は子爵に列しその家系は今日に至っている。 氏直の子は女子一人であったらしいが、その娘は正室・督姫(徳川家康の息女)との間に生まれている。氏直没後、督姫が秀吉の命により池田輝政に再嫁するときの連れ子となり、のちに輝政の嫡子・利隆の許婚になる女性である。しかし利隆に嫁すことなく1602年にこの世を去っている。 『仙台金石志』によると仙台城下五台山松山寺に天真院殿秀山俊公居士という墓があり、その墓碑に「生国者相州小田原、父者北条氏直、母者徳川家康女也、北条善右衛門尉平氏次入道安清、寛文十二壬歳閏六月四日八十八歳卒」とある。没年齢から逆算すると1585年に生まれた氏次が、小田原落城後なぜ仙台に来住したか不明だが、その子・氏時の代に桑島と改姓し、維新勤王の志士・桑島孟を経て現在に至っているらしい。 ごく最近まで東京の神田須田町に「小田原屋」という酒屋があった。その家伝によると先祖は北条氏の家臣で、小田原城が落ちた時に氏直の幼女を連れて江戸に落ちのび、漬物屋を始めたという。戦後、酒屋に転業し当主は17代に及ぶというらしいが・・・? |