血筋の系譜

尼子経久


毛利氏家臣となり続いていたが、昭和に入り断絶

 尼子経久の孫・晴久は1560年、怒涛のように迫り来る毛利元就率いる大軍を気にしながら47歳で月山富田城で没した。翌年になると毛利全軍は出雲に集結、尼子三兄弟(義久、倫久、秀久)も万策尽きて1562年についに開城、毛利氏の軍門に下った。毛利元就は、尼子一族を絶滅を求める吉川元春、小早川隆景らの強硬論をしりぞけ安芸の長田に幽閉した。
 主家再興を企てた忠臣・山中鹿之介は尼子一族の勝久を擁立し播州・上月城に立て籠ったが、結局毛利氏に攻められ勝久は自刃し、再興は失敗に終わる。
 1600年の関ヶ原の合戦後、毛利氏は防・長二州に転封され、尼子兄弟も萩の近くに居を構え、千二百九十二石余りを給され毛利氏の家臣となった。
 晴久の長男である義久には子がなく、次男・倫久の子・九一郎元知を養嗣子として迎えた。元知の養子・就易の代になって佐々木と改姓し、以後、子孫は萩藩士として幕末まで名跡を相続し、維新後も家系を保った。だが、昭和15年に当主・寅介が東京・高輪の毛利家別邸で死去し、嗣子がなかったために義久以来の家系は絶家となった。


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