これは近年話題になったグラハム・ハンコック氏の『神々の指紋』を元にしています。『神々の指紋』の中でもっと詳しく説明されています。

古代地図

 もともと古いアンティーク地図に興味を持っていて、前々から不思議に思っていたことがあった。どうして太古の地図に南極大陸やオーストラリア大陸が描かれているのだろう。まだ地球が丸いということすら知られていない時代だというのに。中には南極に川があったりして、氷のない状態の地図が描かれているものもある。地図の南極はいくつかの島になっていたりするが、これは変だ。南極の氷を溶かすといくつかの島になるということがわかったのはここ数年のことなのだから。誰かがデタラメに描いたものがたまたま実際と同じだったということだろうか?だが調べてみると偶然の一致にしては量が多いこと、理論に裏うちされていることがわかってきたのだ。

経度のナゾ

 地球上のある一点を表わすのに現在は緯度と経度を使う。緯度は南北を表わし、経度は東西を表わしている。緯度は太陽や星の角度から簡単に計算できるが、経度は時間を正確に計る必要があるので難しい。18世紀頃までの航海では、経度に何100キロもの誤差が出るのは当然だった。正確な時計がなかったからだ。その後、海上輸送が増え正確に経度を測定する必要性にせまられ、より精密な時計を開発するようになったのだ。したがって、当然17世紀以前に正確な経度は存在していないわけで、地図を作るにも東西方向においてはまるで正確さを欠いたものになってしまっていた。
 だが、南極大陸が描かれている地図は正確な経度に基づいて作られている。南極大陸以外の部分を見れば一目瞭然だ。現在の地図と変わらない。このことは太古の昔に正確な時計が存在し、地図の作者は地球の丸みを計算に入れた球形三角法の数学の知識を持っていた事を表わしている。
 右上の地図はオロンテウス・フィナエウスの地図で、こちらが南極周辺を拡大したもの。これは1531年に描かれたものだ。沿岸に沿って連なる山脈は現在の山並みと似ている。これは誰かのいいかげんな想像によって描かれたのではないことを表わしている。山脈は内陸にもあり、山並みからは川が流れている。これは川のある場所が氷に覆われていないことを表わし、川や山の描かれていない部分はすでに氷に覆われていたことをうかがわせる。ロス海は広い河口、入江などが見えるが、現在は巨大な氷河が覆われている。つまりこの地図が描かれた時にロス海は氷に覆われておらず、さらに川に水が流れていたということは相当な内陸部まで氷に覆われていなかったことを示唆する。1531年の時点では現在と同じく南極は極寒の地であった。つまりこの地図は南極大陸が全て氷に覆われていなかった時期に描かれたものの写しだということだ。また南極以外を見ても驚かされる。当時発見されていないはずのアンデス山脈や、そこから流れるアマゾン川まで正確に描かれている。フォークランド諸島も見えるが、この島が発見されたのは地図制作の80年も後のことだ。

洪水伝説

 世界各地に洪水伝説がたくさんある。有名なところでは、高い文明を持ったムー大陸が地震等の天変地異に見舞われ一夜にして太平洋に沈んだというムー伝説や、ノアの箱舟の話しがあるが、これらの他にも似たような伝説は世界中にある。もちろんこれらは歴史的には確認されていないし、神話や言い伝えに過ぎないものも多いだろう。それでこの話しを終わらせることは簡単だが、ここで一歩踏みとどまり考えてみる。
 全て作り話しだとしても、交通手段も伝達手段もほとんどない時代に世界中に同じような話しがあるという事実。これは不思議だ。偶然同じような話しがあっただけとするにはあまりにも多すぎる。「一夜にして」とか「大陸全てが」とかは別にして、本当に地球規模の天変地異があったのではないだろうか?かなり広い範囲で大規模な洪水が起こるようなことがあったのかもしれない。洪水前にはすばらしい世界があったというパターンが多いのも気になるところ・・・。

ピラミッド

 エジプトの古代王朝の墓とされているピラミッド。だがあれは本当に墓だろうか?調べれば調べるほどそうではないような気がしてくる。
 まずファラオを賛える文字や装飾品がまったくないのが変だ。何千年もの間に盗賊に盗まれたと言う人もいるがそうではない。確かに最初に公式に調査をした時にすでに盗賊によって侵入された後は見つかった。だがその後の大規模な調査の末、いくつかの新しい通路や部屋が発見され、これらには誰も侵入した形跡はなかった。盗賊が侵入した部分も侵入していない部分も、通路や部屋はいずれも装飾品などなく、どちらかというと巨大な機械の内部のようだ。
 王の棺桶と言われているものも殺風景な中にポツンと置いてあるだけ。とても王を守るとか称えるとは思えない。しかもその棺桶、閃緑岩をくりぬいて作られているが、この閃緑岩、鉄より硬く地球上でもっとも硬い岩の一つだ。現代のダイアモンド・ヘッドのパワードリルよりも500倍速くくりぬかなければ作ることはできない。
 ピラミッドは非常に計算されつくした精巧な建造物で現代の建築技術を持ってしても作りえない。古代人の作った原始的な建造物と思われているかもしれないが、とんでもない。信じられないほど精巧なのだ。例えば、真上から見るとほぼ正方形なのだが、その誤差はわずか20センチ。1%以下の誤差だ。現代の建築物で1%の誤差は当り前のこと。肉眼で見てもわからないのだから、そこまでこだわる必要もない。ピラミッド制作者がここまでこだわって厳密に作る必要性はなんだったのだろうか?
 ピラミッドの斜面の角度は52度である。45度とか単純な角度にすればいいのに、ナゼこのような半端な角度で岩を積み上げたのか?あれだけ巨大なものを半端な角度で積むのは至難の業だ。この52度という角度はデタラメな角度ではない。ピラミッドの底面を赤道とすると、頂点は北極点にあたるのように作ったのだ。そのためにこのような角度になっている。さらにピラミッドの高さを10億倍すると地球から太陽までの距離になる。ガリレオやコロンブスよりずっと昔にすでに地球や宇宙のことを知っていたのだろうか?
 ギザには3つのピラミッドが並んでいる。一直線より少しだけズレて並んでいるのだが、これも一直線に並べるのを失敗したわけではない。この位置はオリオン座の三つ星の位置と同じで、ピラミッドが三つ星なら、ナイル川は天の川と同じ位置になる。ピラミッドを作った人物はギザに巨大な宇宙の地図を書いたのだ。それも紀元前10450年頃のものであるということが1993年に発見された。

作られた時期のナゾ

 ピラミッドがエジプト王朝の墓であるという証拠は次のとおり。1837年にバイス大佐により強引な発掘調査が行われたが、その時に次のような文字を発見した。「石工ガング:クム・クフの白い王冠の力は強大だ。クフ。クフ。クム・クフ。17年」あとにも先にも『クフ』の名が発見されたのはこの時だけ。この落書きは王を称えるどころか、人目につかない辺鄙な場所にあった。ピラミッド内には他に文字はない。ここだけにあるのは不思議だ。それもこの時調査された4つの部屋にだけあった。ここは5つ連続してある部屋なので、そのうちの一部というのも変だ。しかも誤字や文法の間違い、部分的に逆さになってしまっている象形文字で書かれている。非常に怪しい。だが、これがクフ王の墓である唯一の証拠なのだ。
 ギザの3つのピラミッドはクフ王らの時代、つまりエジプト第4王朝時代に作られたとされている。だがこれも明らかに変だ。他の時期のものとは建て方がまるで違う。第3王朝時はかなり雑なもので、当時はまだ小規模なピラミッドを作る技術もいまいちだったようだ。また、第5王朝、第6王朝時にはピラミッド・テキストが発見されているが、本体そのものはやはりお粗末でそのほとんどは現在崩れてしまっている。(写真)何千年もの間崩れずにいることは大変なことなのだ。大きさは、大きいと言ってもギザのピラミッドの半分にも満たない。さらには、ギザの3つのピラミッドは他の第4王朝のものとも違う。第4王朝の他のものもやはり粗末だ。
 第4王朝の時代に作られたとされる3つのピラミッドだけ、ナゼこれほどまでに水準が高いのだろうか?ピラミッド建造能力はほとんどなかった第3王朝時代が終わると突然現代建築技術よりも高い水準を持ち、数十年ののち第4王朝の時代にはまた突然その能力を忘れ、第3王朝時代の延長のような技術に戻ったのだろうか?

スフィンクス

 ピラミッドとともに人を惹き付けるスフィンクス。人間の顔を持ちライオンの体を持っている。こちらも調べれば調べる程不思議なことが多い。
 スフィンクスの顔はカフラー王の顔だということになっているがどう見ても似ていない。だが、カフラー王の時代に顔を作り直した可能性はあるようだ。もともとは顔もライオンだったかもしれない。それよりなぜライオンなのだろうか?スフィンクスは真東を向いている。真東とは春分、秋分の日に太陽が昇ってくる方向だ。一体何を見ているのだろうか?これについては歳差運動の項に答えがある。
 スフィンクスもピラミッドと同時期に作られたとされている。砂漠地帯なので、長い間風による浸食を受け細かい横のスジがついている。だが背中には縦に浸食されたようなスジがある。これは何を意味しているのか?風で縦に浸食されることはない。最も楽に考えると水の流れたあとだろう。だがここは砂漠地帯。浸食どころかまともに雨すら降らない。浸食するにはまとまった雨が必要だ。ところがエジプトもかつては雨の降る温暖な時期があった。スフィンクスがその時期からあったとすれば全て説明がつく。ただしその時期とは最低でも9000年前のこと。エジプト文明が起こる遥か昔のことだ。

 1995年の放射線測定の調査で、スフィンクスは最低でも7000年から8000年前には存在していたことが判明した。王朝も文明もない原始時代に一体誰が何のためにどうやって作ったのだろうか?ピラミッドとの関係はどうなのだろうか?現在でもエジプト王朝時代に作られたことになっている。

エジプトの神話

 『空にいる神々は降りてくる。地上にいる神々は集まってくる。彼らはあなたの下に手を置く。彼らははしごを作ってくれる。あなたはそれに乗り空に昇る。空の扉は大きく開かれている。星が輝く天空の扉が大きく開かれている。』これはファラオが永遠の場所を求める旅に出るときの部分だ。単なる神話にしか読めないだろうか?また別の部分では頻繁に『鉄』が登場するが、古代エジプトでは鉄は珍しい金属だった。『空の鉄板』『鉄の玉座に座り〜』といった感じだ。
 この神話の書かれているピラミッド・テキストと呼ばれているものを研究したウォーリス・バッジは次のように述べている。「この中に書かれている多くの言葉の意味は不明だ。まったくわからない言葉が入っていると解決できないナゾとなってしまう。だが、これがエジプトで使われたのはたかだか100年ほどの間であったことは明白だ。なぜ第5王朝で突然使われ始め、第6王朝の終わりには使われなくなったのかは説明できない。」「いくつかの節からわかるのは、資料を元に写本を作った人は書いた内容を完全には理解していなかったことだ。その写本を元に職人が碑文を彫っている。全体的な印象は、この写本を書いた神官はいくつかの異なった時代に書かれた内容も異なる文献から引用していることだ」神官は単に書き写しただけでなく、象形文字に翻訳していたのだろう。だから専門用語や古代エジプトにない道具などが登場すると奇妙な文章になってしまう。
 神話を「ただの神話にすぎない」と片付けるのはあさはかだ。例えば『最初の神々と英雄たちは18000年近くエジプトを支配した。最後に統治した神はイシスの息子ホルスだった。人間が王となってからは5000年近くになる。この間、太陽がいつもと違う場所から昇ることが4回あった。2回は現在沈むところから昇り、2回は現在昇るところから沈んだ。』
 これを読むと「やっぱりデタラメな神話だ」と思うかもしれない。だがそれは単に知らないだけかもしれない。この文章の意味は歳差運動の項で説明する。

砂漠の船

 1991年12月21日。アメリカとエジプトの考古学者が砂漠で12隻の巨大な木造船を発見した。船は15メートルから18メートルで5000年前に建造されたものと見られる。
 ファラオの魂を運ぶためのものではないかと言われているが、この艦隊は外洋の激しい荒海をも乗り越えられる高度な設計が施してあり、長期にわたって蓄積された航海技術に基づいている。エジプトの歴史の初期に、すでに長い蓄積があったというのは矛盾している。この艦隊のものより1500年ほど古い最古の壁画にはこの艦隊と同じような流線型の大型船が水の上を進んでいる様子が描かれている。(この写真は大英博物館にあったエジプトの石画。船が見える)

メキシコ

 ピラミッドがあるのはエジプトだけではない。有名なのはメキシコのピラミッド。メキシコと言えば『太陽の臣・アステカ』を思い出すが、ピラミッドはアステカ帝国の時代とは比べものにならない程、昔に作られたようだ。
 階段式のピラミッドは、四面それぞれ91段で、頂上の階段を加えると365段になる。春分と秋分の日には影を利用し巨大な蛇がくねっているように見せる仕掛けがある。メキシコのピラミッドもやはり精巧に作られており、特に時間に関して強い関心があったようだ。そういえばマヤ文明の暦も非常に精巧なものだ。
 エジプトのピラミッドは高さと底辺の周辺の長さの比率が地球の半径と円周の長さと同じで、それは2πである。メキシコ・テオティワカンの太陽のピラミッドは4πの比率だ。πが発見されたギリシアよりも昔にπが存在し、エジプトでもメキシコでもおそらく設計者は同じメッセージを伝えようとしている気がする。アステカについては後で詳しく触れる。

ナスカの地上絵

 南ペルーのナスカ高原に有名な地上絵がある。ここは不毛の地で人がよりつかない上に、かなりの高度から眺めないとわからないほど巨大なので1930年代になるまで誰も気づかなかった。クモ、鯨、猿、ハチドリなどの絵がとにかく巨大に描かれているのだ。それもかなり幾何学的なもので、明らかに人工的なものだ。宇宙人が着陸するための滑走路だとい言う人もいるが、何百光年もの旅を出来る宇宙人が滑走路など必要とするのだろうか?そもそもこの絵はナスカの表面を削り、小石を取り除き、黄色い砂と土をあらわにしただけだ。
 最近になって、ナスカの有名なクモの図柄はオリオン座を描いたもので、まわりの矢印はオリオン・ベルトの三つ星のズレを記録したものだということがわかってきた。またしてもオリオンだ。またこのクモはアマゾンの熱帯雨林にしか住まないクモ「リチヌレイ」を正確に描いたもので、顕微鏡を使わないと見えない部分まで描かれている。
 ナスカの地上絵を描いたのはナスカンと呼ばれる原始的な古代部族だということになっているが、この原始的な部族は、クモの見本を探しにアンデス山脈を越えたというのだろうか?鯨や猿などは、乾燥し不毛なこの場所とはあまりにも場違いな気がする。
 言い伝えによると、この仕事をしたのは人間ではなく半神半人のビラコチャだという。

インカ帝国

 インカにはナゾが多い。空中都市と呼ばれるマチュ・ピチュが発見されたのは最近のこと。4000メートルを超えるアンデス山脈にある都市だ。ナゼこのような不便な場所に都市があるのだろうか?インカの遺跡の中にはロケットのような絵や飛行機のような設計図、また電池と思われるものも発見されている。
 1532年にスペイン人がインカを征服し、宝は根こそぎ略奪され、宗教は根絶やしにされたが、一部のスペイン人はインカの伝統が完全に忘れさられる前に記録に残す真剣な努力をした。それによると、インカの伝承はインカよりも数千年前に偉大な文明があったことを語っている。その文明の創始者がビラコチャだ。
 インカの首都・ティアワナコの遺跡の彫刻に不思議なものがある。それは紀元前10000年頃絶滅した南米に住んでいた象や紀元前11000年頃絶滅したトクソドンのものがあるからだ。太古の偉大な文明の住人が作ったのだろうか?
 インカ帝国の広い国土は舗装され洗練された幹線道路と多くの支線道路網で結ばれていた。この道路をピサロ率いるスペイン軍が進軍しあっさりとインカ帝国は滅亡することになる。
 また崇拝するビラコチャとスペイン人のイメージが似ていたことも征服者ピサロの味方をした。伝説ではビラコチャは必ず戻って来ることになっていたからだ。インカ人は最初、スペイン人を歓迎し受け入れてしまったのだ。

ビラコチャ

 スペインによって破壊される前のコリカンチャ神殿にはビラコチャの偶像が建っていたようだ。ビラコチャは痩せていて、背が高く、あご髭があり、白人っぽく、中年で、サンダルを履き、長いゆったりとしたマントを着ている。髭があったり色が白いあたりは、少なくともアメリカのインディオでないことは確かだ。インカの人々がスペイン人を見て勘違いするくらいだから、やはりビラコチャは白人だったのだろうか?
 ビラコチャは科学者で、信じられないような技術を持った建築家で、彫刻家で、教師でもあり、医者でもあったらしい。慈愛と親愛をこめ、傷つけあうことをやめさせたりもしたが、自らが危険にさらされると天国の火を吐く兵器を使用したらしい。彼を殺そうとしたインディオは恐れおののき、許しを乞うた。この後彼は海の中に入って行き、二度と戻らなかったそうだ。
 インカの驚異的な建築物や道路なども実は彼らが作ったのではなく、彼らは修復、保全をしていたにすぎない。それらを作らせたのもビラコチャだというのだ。
 伝説によると、この国にはかつて大洪水が起こりほとんどの人間が溺死した。だがチチカカ湖からビラコチャが現われると人類は再び増え始めた。
 ここで不思議なのはチチカカ湖は世界で最も高所にある湖だということだ。湖が大洪水を起こすだろうか?インカの首都のティアワナコには立派な船つき場があるが、それはチチカカ湖から19キロも離れたところにある。30メートル高所にあたる場所だ。つまりティアワナコが建設されたときの湖の水面を表わしている。このあたりは紀元前11000年頃に自然による驚異的な大変動に襲われたらしい。
 ちなみに、ビラコチャの伝説とエジプトの復活の王オシリスの話しには非常に共通点が多い。何か関係があるようにも思われるが、たんに偶然かもしれない。

アステカ帝国

 アステカには残虐で有名な血の儀式があった。1回の儀式で何万人単位の人が生贄にされ、皮を剥いだり、その皮を身につけたりした。この残虐な儀式にも意味がある。彼らは生贄を捧げることで世界の終わりが来るのを遅らせようとしたのだ。
 彼らは、宇宙には偉大な周期があると考えていて、現在は第5の太陽の時代にあたるそうだ。一つの太陽の時代は4000年から5000年くらいになるらしい。第1の太陽の時代は神に作られた巨人が生きていたが最後はジャガーに食われ、第2の時代はハリケーンにより、第3の時代は火山により、第4は洪水により滅びた。第5の太陽は「運動の太陽」と呼ばれ血と心臓に飢えている。「運動の太陽」というのは地球が動き、そのために人類は死滅するからだそうだ。すでに第5の太陽は老齢で、間もなく終わりの時が来るらしい。それがいつなのかはアステカ人は知らない。そのため必死で生贄を捧げたのだ。

マヤの数字

 アステカ人が知らない終わりの時を正確に計算していたのがマヤ文明の人々だ。彼らの暦の知識は信じられないほどで、現代人の知識より上かもしれない。彼らによると、終わりの時は2012年12月23日だという。
 ここで説得力を高めるために彼らの時間に対するスゴさを紹介しよう。比較的平凡なマヤ文明にあって、時間に対する知識だけは半端ではない。現代はグレゴリオ暦を使っているが、それ以前は1年を365.25日と計算していた。1582年に導入されたグレゴリオ暦では365.2425日とされ現在もこれだ。実際は365.2422日なので0.0003日の誤差があるわけだが、16世紀に作られたと考えるとすごい精度だといえるだろう。だが驚くべきことに、16世紀よりも圧倒的に太古に作られたマヤの暦では365.2420となっていてグレゴリオ暦よりも精度が高い。同じように月の公転周期や月食、日食も正確に計算している。
 マヤのカレンダーでは1年は13か月に分けられ、金星の周期までも考え、金星における1年の61年目毎に4日、5周期目の57年目に8日の修正を行う。これにより金星とも調和し誤差は驚異的に小さくなり、6000年に1日しか狂わないらしい。(私が検証したわけではない)つまり長期にわたり誤差なしで使えるということだ。マヤの人たちは過去にこだわるためにこのようなカレンダーを作り出した。グアテマラの石碑には9000万年前の日付が計算されてあったり、3億年前の日付が記されている。
 欧米人がアッシャー大司教の、世界は紀元前4004年に創造されたとする見方を破棄し、もっと長い歴史があるとしたのはここ200年のこと。ダーウィンが進化論を発表するまでは誰も知らなかった。だがマヤの人々は何百万年という数字を軽々と扱っていた。マヤに限らず中央アメリカの古代民族たちは世界の終わりの計算に明け暮れ、延期したいと願っていた。マヤのカレンダーが作られた目的もそこにありそうだ。

ケツァルコアトル

「白人の大男で、額が広く、大きな目で、長いアゴ髭が波打っていて、長い白のローブを着ている。果物と花以外の生贄を非難し、平和を愛し、戦争の話しになると指で耳を隠した。」古代メキシコの神話の中の神、ケツァルコアトルである。また「彼は海から来たが、船は漕がなくても走った。火を使って料理をする方法を教え、一組の男女が夫婦として一緒に生活することを教えた。」ともある。
 こう聞くと、この神はかなり人間っぽい感じがする。実際に人物が次第に神格化された可能性も考えられる。ケツァルコアトルは東の海からやって来て、人々が惜しむ中、船で去って行った。伝説ではまた必ず戻って来るという。
 あまりにもアンデスのビラコチャと似ている。ほとんど同じと言っても良いだろう。だが、違う部分もある。ビラコチャは太平洋の波を越えて去ったが、ケツァルコアトルは東へ去った。またメキシコに伝わる伝説の中には弟子を連れていたすることもある。同じ場所から来た人物が数名いて、それぞれ神格化された可能性もある。
 ケツァルコアトルは夜と闇の神テスカティルポカとと長い年月闘い、破れ、メキシコを出て行く。善が悪に破れたために再び生贄の儀式を行うようになった。

共通点

 エジプト神話のオシリス。アンデスのビラコチャ。メキシコのケツァルコアトル。エジプトでは、最初の創造の島が洪水の水ヌンから顔を出す神話があるが、アンデスでは、地上を滅ぼした洪水の後にチチカカ湖からビラコチャが姿を現わしている。オシリス、ビラコチャ、ケツァルコアトルとも人食いの風習を廃止し、農業を教え、家畜を飼わせ、文字や建築、音楽を教えている。もちろん偶然が重なっただけかもしれない。3者とも背が高く、アゴに波打つ髭がある。エジプト人でもメキシコ人でもペルー人でもなさそうだ。
 古代メキシコ地域の文明をオルメク文明と呼ぶが、不思議なことにオルメクでは突然高度な知識が生まれている。エジプトでも似たようなことが起こっている。例えばエジプトの第1王朝以前の遺跡からは全く文字の形跡は見られないのに、この後突然完成された象形文字が現われる。音を伝える記号や数学符号、筆記体などまでが突然使われている。数学、医学、天文学、建築、宗教までも、突然洗練された複雑なものになっている。進化の過程がまるで見られない。どう考えても変だ。新石器時代から突然組織化された王朝時代に入ったのだ。
 このナゾを解くのに一番考えやすいものは、何者かがエジプトに文明をもたらしたということだ。候補は隣りのメソポタミアだ。シュメール人がエジプトに文明をもたらしたと考えられる。確かに似ている部分も多いが、全く違う部分もある。そこで次に考えられるのは、第三者がシュメール人とエジプト人に別個に伝えたという線だ。これなら間接的に似ている点、根本的に違う点を説明できる。だが、第三者とは誰だろう?

超古代文明の存在

 もし私たちの知らない太古に文明人が存在したら?これだけで今までの多くのナゾが説明できる。エジプト文明の起こるずっと以前、まだ知らない文明が存在していた・・・そして彼らは今から12000年前頃に全滅に近い打撃を受けた。進化は一つの方向だけではない。時には後戻りすることもある。文明をもったのは私たちが最初である証拠はない。
 12000年前以前は南極は温暖だったらしい。その時代であれば氷のない南極の地図を描くのは当然だ。12000年前頃に天変地異が起こり、先史文明の人たちは大打撃を受けたのだろう。彼らの生き残りが世界に広がり、文明を持たない人たちから神と拝められた。彼らは天変地異を察知していたので、そのことと自分たちの存在を伝えるためにメッセージを残している。
 次の項からは、その天変地異とは何だったのか、察知し伝えるためのメッセージの方法と内容について記す。

地殻変動

 地殻変動を知っているだろうか?字の通り地殻が変動するということだが、プレート・テクトニクスや大陸移動説と混同してはいけない。
 地球は熱いマントルの上に薄い皮のように地殻が乗っている。固い土は卵の殻かオレンジの皮のようなものだ。マントルが熱により対流し、その影響で上に乗っている地殻もゆっくり移動する。これが大陸移動になる。
 地殻変動は、マントルの上を滑るように地殻だけが動くのことをいう。オレンジの中味はそのままに皮だけが動く感じだ。
 なぜそんなことが起こるのはを説明しなければならない。北極と南極の氷の重さだ。年々不規則に増え続ける氷がある一定を超えるとバランスを崩すのだ。それで両極の位置がズレるとそこが新しい極になる。古い方の氷は次第に溶けていくというわけだ。現在もすでに両極地とも大量の氷がある。次の地殻変動は案外近いかもしれない。最も最近は温暖化の影響で氷が溶け出しているが・・・。
 前回の近く変動が起こる前、ヨーロッパは現在より数百キロ北にあった。サハラ砂漠あたりが現在のヨーロッパあたりだ。従ってそこは砂漠ではなく温暖で住みやすい地であったし、ヨーロッパは北極にあたる。
 今から12000年ほど前、世界は氷河期のまっただ中。だが実際はそうでもなかったようだ。確かにアルプス山脈まで氷河が張り出ていたが、同時期の日本や中国は今よりも温暖だったらしい。エジプトは住みやすく温暖で、砂漠もなかった。南極も氷は一部にしかなく、これまた人が住むにはちょうど良かった。そう、地殻変動前の状態だったのだ。世界が氷河期だったわけではない。ヨーロッパが極地にあっただけだ。ヨーロッパが今より北に上がればアジアは南に下がる。当然今より暑くなる。南極も北にズレるから最も北の部分は今の南アフリカよりも温暖だった。氷河期というと世界中が氷に閉ざされていうような印象があるが、実際はヨーロッパだけの話しだったようだ。

ナゾの答え

 超古代文明が受けた天変地異とは地殻変動だったと思う。大陸移動などとは違い、短い時間に大移動するので世界規模の災害が起こる。彼らはそれを知っていたのではないだろうか。高度な天文学や数学を使ったカレンダーも地殻変動を計算するためだったのかもしれない。
 もう一つ。超古代文明はいいが、一体そんなものはどこにあったのかと言いたい人。ムー大陸にしろ、アトランティスにしろ、遺跡もなにもないじゃないかと思う人。すでに世界中くまなく探したが、それらしい場所はないゾと言いたい人。まだ探していない場所があります。海の底よりも探すのが難しい場所。それは氷に閉ざされた南極大陸。地殻変動前は温暖だったので、人間が住むのには適していたハズ。文明が発達するのにも適している。住んでいれば地図を書くのは当然。ピラミッドやアンデス、オルメクのナゾの遺跡は彼らのものだということだ。前回の地殻変動が起こったのは今から約12000年前だったのだろう。南極の氷もサハラ砂漠もそれ12000年以内に出来ている、比較的新しいものなのだ。
 それでもまだ疑問が残るという方は先へお進み下さい。

歳差運動と十二星座

 関係ない話しのようだが、ナゾを解く大きなポイントとなるのが歳差運動だ。
 地球の地軸は23.4度傾いている。そのために日本などの中緯度地域には四季がある。極地で白夜になったりするのもこのためだ。この傾いた地軸は一定ではない。わずかながら動く。ブレながら回転しているコマのような感じと言えばわかるだろうか?約26000年で一周する、とてもゆっくりした回転だ。1度ズレるのに72年もかかる。このズレる運動のことを歳差運動という。
 人類は古来から春分の日に太陽が昇る直前に同じ方角に輝く星座を神格化したがる。この星座も歳差運動によって変化する。一周360度に黄道十二星座あるわけだから、一つの星座あたりの角度は30度。歳差運動のズレのスピードは72年で1度だから30度なら2160年だ。つまり2160年ごとに春分の日の夜明けに輝く星座は変わるということだ。現在は魚座の時代、間もなく水瓶座に入る。牡羊座の時代ユダヤ教では羊を聖なる生き物としていたり、古代人には意味の深いものだった。起源前10970年から起源前8810年までの2160年間が獅子座の時代。つまり今から約13000年前から11000年前ということだ。南極が温暖だったこの時期、スフィンクスが聖なる獅子の顔なのは偶然だろうか。写真右は大英博物館の紀元前後頃の石像。左写真はエジプトの遺跡、今から4000年以上前のもの。足が牛だ。どちらも計算とピッタリ合致する。

 エジプト神話の項の説明。
『最初の神々と英雄たちは18000年近くエジプトを支配した。最後に統治した神はイシスの息子ホルスだった。人間が王となってからは5000年近くになる。この間、太陽がいつもと違う場所から昇ることが4回あった。2回は現在沈むところから昇り、2回は現在昇るところから沈んだ。』の意味だ。
 これは時の期間を示していると思われる。まず、神々が統治したのが18000年、人間が王となってから5000年、これが書かれたのが紀元前5世紀だから、合計で今から25500年ということになる。太陽の昇る場所は、歳差運動によって説明がつく。歳差運動の時計を半分戻すと13000年遡り、太陽の昇る位置は逆になる。これで昇る場所から沈み、沈む場所から昇るわけだ。もう半分戻すと26000年というわけだ。

恐ろしい仮定

 もしも我々現代人が次の地殻変動を正確に知ることが出来たとしたら・・・。知ることは出来たが、それを避ける方法がなかったら。地球全体が短時間に何百キロも移動すれば大災害が起こるのは必至だ。洪水どころではないかもしれない。現代文明は失われるかもしれない。一地域の断層がわずかに動いた神戸の地震ですら壊滅的な打撃を受けたのだ。
 もし地殻変動が避けられない運命で、地殻変動に耐えられるだけの建物も場所も技術もないことを悟ったら、人類はどうするだろう。絶滅を目の前にしたら。野蛮な現代人は秩序を乱し、戦争を始めるかもしれない。だが野蛮でなかったら?
 文明を失い、家も食料も技術も知識も学問も失ったとしても絶滅はしないだろう。運の良かった者が多少は残るだろう。だが、多少残っても、原始的な生活を強いられるだろう。手ブラで無人島に行ったようなものだ。木やほら穴に住むのだろうか。ケガや病気にも勝てないかもしれない。栄養のバランスは崩れ、健康状態が悪くなっても医者もいなければ知識もない。医者がいても生き残ったわずかな者同士、連絡をとることすらできない。世代が変わり時が流れれば、復興するよりも、原始に戻る可能性の方が強いだろう。
 せめて恐怖の地殻変動の存在を次の世代に伝えなければ!この悲惨な経験を伝えなければならない。自分たちが存在したということも伝えたい。だがその方法は?原始の生活をしている者ではなく、再び復興し、地殻変動を理解でき、それを避ける術を持った世代に伝える方法は?
 かなり長い期間残るものでなくては理解される前に失われてしまう。紙ではもたない。その前に言語が違うのに文字ではダメだ。西暦何年と言っても意味がない。それにそのようなものを残したら、それを発見してもらわなければならない。目立つもの、興味を持ってもらえるものだ。
 もう何が言いたいかわかっただろうか?先史文明の人はこう考えたのではないだろうかということだ。

メッセージ

 ピラミッドは先史文明からのメッセージ。あれほど目立ち、長年人を魅きつけるものもない。
 王の間と呼ばれる部屋からの空気穴は正確に12000年前のオリオン座を指している。ピラミッドそのものがオリオンの三つ星を表わしているのだから、自分たちの存在時期を表わしている。真東を向いたスフィンクスは春分の日の出を見ている。ライオンは歳差運動を考えると12000年前の獅子座で一致する。
 人類の進化の中で現代人と同じようになったのは、少なくとも5万年前と言われている。文明が起こってから現在までおよそ4000年から5000年。5万年あればそれが10回は繰り返せるわけだ。従って、1度や2度文明が発達する可能性は充分にある時間だ。
 すべてのナゾや仮定の話しを現実のものにするには、確固たる証拠が必要だ。技術的には大変だが、南極を本格的に調査するべきだ。広い大陸を調査するのは容易ではないが、人類史上最も重要な遺跡が眠っているかもしれないのだ。そこで史上最大の発見をしたときに人類の未来が見えてくる。マヤの残した2012年12月23日という数字を検討する必要があるだろう。キリスト教では終末の日が迫っているといわれている。ものみの塔聖書協会では「この世界は消滅する。洪水の前の世界が消滅したのと同じくらい確実に。最後の日々には多くのことが起こると予言されているが、その全ては起こりつつある。これは世界の終わりが近いことを意味している…」
 あの有名な霊能者エドガー・ケイシーは1934年に「2000年頃に極が移動する。北極と南極で大移動があり、熱帯では火山が噴火する。」と予言している。
 2000年には太陽系は惑星直列が起こる。これは45200年に1度しか起こらないことだ。これにより強い引力が生まれ、マグマを誘発する可能性もある。マヤではこの日を終わりの日と見ているが偶然だろうか?
 「大洪水の前の日々、人々は食べたり飲んだり、妻を奪ったり夫を奪ったりして過ごしていた。人々は洪水が来て全てをさらって行くまで何も疑わなかった。」これは聖書の中のノアの箱舟の一節である。
 もちろんここに書いた全ては偶然が重なっただけにすぎないのかもしれない。


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