成宗電気軌道

 明治30年(1897年)、成田鉄道が開業すると、成田山新勝寺への参拝は東京からも日帰りか可能となり、参拝客も大幅に増加した。成田駅と約1km離れている新勝寺間に鉄道を引こうという計画が挙がる。しかし門前町側は客の通行が消えれば死活問題と激しい反対運動を展開、約150人の人力車夫もこれに加わり、乱闘まで起こる騒ぎとなった。成田町内の事業には支援を惜しまない新勝寺も、この時ばかりは反対に回った。
 しかし、会社側は門前町の道路上にレールを敷く当初の案を、市街を迂回するルートに改め、明治43年(1910年)12月11日に成田駅前-成田山門前(後に不動尊)間を開業させ、トンネルも2箇所掘ることになった。
 更に翌年1月20日には成田駅前-宗吾間も開通。全線複線で、送電のための火力発電所まで建設された。千葉県最初の電車である。宗吾-不動尊の直通電車はなく、レールもつながってはいなかった。不動尊側は1067mm軌間、宗吾側電車線は1372mm軌間である。
 成田駅前から不動尊へは5分間隔、宗吾へは15分間隔で発車したため、便利さもありかなりの参拝客が利用した。客を奪われた旅館や商店は電車撤廃運動を続けた。

停車場
宗吾 - 大袋 - 新田 - 成田駅前 - 幼稚園前 - 成田山門前(後に不動尊)

現在の跡地を歩く(2001.10.)

地図 成宗電気軌道は戦前に廃止されたのにも関わらず、路線の跡は意外と多く残っています。特に京成成田-成田山門前間のほとんどは、ルートそのものが「電車道」という通りの名前がついており、道路として現在も使われています。「電車」という名前が残っていることも、電気で走る県内最初の鉄道であったことの名残りでしょうか。
 途中、明治時代に鉄道建設の際に掘られた2箇所のトンネルもほぼそのままの形で残っており、当時の面影を残しています。天井を見上げて耳を澄ませば当時にタイムスリップしてしまいそうです。
 JR成田駅前、現在のロータリーとり少し南側に成宗電気軌道の停車場があり、国鉄成田駅と連絡していました。ここから成田山方面と宗吾霊堂方面への列車が発着していましたが、当時を偲ぶものは特に残っていません。
 成田駅前-京成成田間には面影はありませんが、京成成田駅北口のすぐ右に続く道からが当時の路線跡です。途中の一直線の築堤は今日でも道路を支え続けており、その先にあるレンガのトンネルと合わせて明治、大正の匂いがするかのようです。一部欠落したと思われるレンガの跡が時間の流れを感じさせます。トンネルの天井をよく見れば、架線を吊っていた金具もそのまま残っています。耳をすませば電車の音が聞こえてくるかもしれません。
 東町入口付近で少しカーブすると、再びトンネルがあります。こちらは短いトンネルですが、入口の前に最近作られた成宗鉄道の簡単な案内がありました。
 トンネルを出るとカーブを繰り返しながら成田山門前に向かいます。やがて真正面に終点のドライブインが見えます。このあたりが終点の山門前です。当時の作りや雰囲気を残していると言えます。
 成田駅前-宗吾間は、JR線と京成線に挟まれる道路となって宗吾へ向かいます。京成線と並行するように、JRの下をくぐり西側に出ます。飯田町の住宅街に入りますが、この細い生活道路から京成側が路線跡です。成宗電気軌道は複線だったので、現在の道路よりもずっと広い用地がありました。しばらくすると一本松通りへ出ます。この道は当時から成田への街道として使われており、道路と電車が同時に通る併用軌道でした。新田停留所付近は今ではまったく面影はありません。
電車線地図 少し下って江川を渡ると大袋バス停があります。このバス停のところに、宗吾側の電車線では唯一と言える当時の切り通しがそのまま残っている場所があります。一本松通りは坂を登って行きますが、電車線はそのまま水平に宗吾を目指し、併用軌道がここで終わっていることがわかります。
 終点の宗吾の停車場は宗吾霊堂前の交差点を少し過ぎたところにありました。現在の道路より一つ奥の細道が路線跡ですが、面影はまったくありません。停留所のあった場所は文房具店になっていました(一番下右の写真/奥が成田方面。自動販売機の前付近が宗吾停留所でした)。宗吾霊堂はここから歩いて1〜2分のところにあります。

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