大網駅短絡線

明治29年(1896年)1月20日、房総鉄道の開業とともに大網駅が設置された。翌年には一宮までが開通したが、大網駅ではスイッチバックとなり、千葉から大網までと大網から一宮まででは、列車の前後が逆転することとなった。機関車を前後に付け替える作業は手間も時間もかかり、ディーゼルカーの時代になってもロスの多いことには変わりなかった。明治32年には大網から東金までが開通。千葉から東金へはスムーズに運行出来た。
 土気-大網間は勾配がキツく、房総最大の難所であったため、明治44年に東金-成東が開通すると、千葉から外房方面への貨物は、千葉から総武線経由で、佐倉、成東を通り、東金、大網、外房というルートを通った。
 昭和47年(1972年)5月26日、大網駅でのスイッチバックを解消するために、駅を700m南に移転された。町の中心部からズレるために反対もあったが、これにより外房方面へ直進のみで進めるようになり、利便性が飛躍的に向上した。大網駅は2又に分かれる千葉駅と同じタイプの駅となった。
 また、成東、東金方面からの貨物輸送のため、新しい大網駅を通らず、そのまま外房線へ抜ける旧線は貨物専用の短絡線として残されたが、これも平成9年(1997年)12月に廃止された。短絡線には新茂原駅に発着する貨物列車が走っていたが、新茂原駅の貨物営業が前年3月で取りやめられたための措置である。

現在の跡地を歩く(2002.1〜2)

旧大網駅や旧外房線の跡はかなり残っています。大網駅は昭和47年(1972年)5月に現在の位置に移転され廃止されていますが、旧外房線は貨物専用線として使用され続け、廃止されたのが平成9年(1997年)と、取材時点から約4年しか経過していないからです。まずは旧大網駅周辺を歩いてみました。
旧大網駅は現大網駅より東金寄りにありました。駅舎のあった場所は児童公園となっています。線路沿いを走る道路が旧駅前だけ公園をよけるようにあることからもここが駅跡であることがわかります。
公園の中央付近には旧大網駅跡地の表示看板と腕木式信号機が飾られていました。看板の説明によると、明治時代から使われている手動式の信号機だそうです。また公園から線路を見ると、すぐ手前に旧駅のホームが残っています。茂原・勝浦方面に向かう外房線のホームです(右写真。奥が東金方向)。
旧駅跡の構内には保線関連の引き込み線があります。この引き込み線の一つがかつて茂原、勝浦方面に向かっていた外房線の跡です。線路は途中で切れていますが、そのまま延長すると見事な廃線跡がずっと続いています。旧駅の隣りにある金谷踏切は東金線の隣りにもう一つの線路があったことが明確にわかり、踏切横の小さな川を渡る際に線路を支えたレンガもそのまま残っています。
大網駅短絡線の廃線跡の多くは簡易的な花壇となっていました。不自然に続く花の列が一目で廃線跡だと分かりました。花畑を辿り、反対側の道路沿いにあるパチンコ店の横にも花畑が続いています。パチンコ店の前の道路は舗装の跡があり、ここに踏切があったこともわかります。
現大網駅前を通り、住宅街の中も花壇が続いています。県道83号線を越える付近になると、すぐ右側に現外房線の高架があります。県道のすぐ手前に、小さな水路を跨ぐレンガの橋台の跡もそのまま残っていました。
県道を越えると花壇は消え、ジャスコの横にはきれいに整地された細長い空地が続いています。道路を作る前の状態にも見えますが、現在は特に予定はないそうです(下写真の手前が南方向で、奥方向が旧大網駅方向、左の土手が現外房線)。
大網駅短絡線は、大網駅の移転後も貨物線として使われており、この先で外房線と合流していました。土気の急勾配を避けた貨物列車は、千葉から佐倉、成東、東金、大網を経て新茂原の貨物駅へ向かっていました。

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