| 県営軌道庁南線が健在だった大正12年(1923年)頃には、既に地元では人車軌道に見切りをつけ、蒸気鉄道建設が計画されていた。南総鉄道は茂原から鶴舞町を結び、小湊鉄道に連絡し、房総半島横断鉄道を目指し計画され、大正15年(1926年)、茂原-鶴舞間の免許を得て茂原-笠森寺間の工事に着手。しかし地元の資本のみが頼りだったため最初から資金難で、免許取得、株式会社設立から開業までに5年の月日を要し、また敷設には鉄道連隊の助けを請うことになった。 小湊鉄道重役が発起人に名を連ね、親会社の安田財閥が資本金の不足を出資したため、比較的平坦な上総牛久ではなく、起伏の多い鶴舞町への敷設許可が出たのは、同町に有力な株主が居住していたためだという。
茂原-奥野間を33分で結び、運賃は31銭だった。当初はガソリンカー2両で営業、定員は50名、角張った外観から「重箱」と呼ばれていた。昭和7年(1932年)に奥野への延長に備え、ガソリンカーを1両増備し、昭和10年(1935年)には貨物輸送のため蒸気機関車1両と貨車2両を購入した。 昭和8年(1933年)1月31日に奥野-鶴舞町間の免許を奥野-上総牛久間に変更するが、経営難で延長工事は不可能。最後には、給料が払えず従業員が社長宅に押し掛けたり、蒸気機関車に使う石炭が買えず、薪を炊いて走るほどであった。昭和14年(1939年)2月28日限りで11.2kmの全線の営業を廃止。わずか8年で南総鉄道は歴史を閉じた。この後、笠森自動車というバス会社となるが、これも太平洋戦争中に小湊鉄道バスに統合された。 |
| 奥野 - 稚児ヶ淵 - 笠森寺 - 深沢 - 上総蔵持 - 長南 - 長南元宿 - 千田 - 豊栄 - 米満 - 須田 - 上茂原 - 箕輪学校前 - 藻原寺 - 昌平町 - 本茂原 - 上総高師 - 茂原 |
![]() 九十九里地区の中核都市・茂原は、昔から千葉方面と外房方面を結ぶ交通の要衝でした。この茂原を基点に房総半島横断を目指したのが南総鉄道です。しかしこの南総鉄道、地元でも覚えている人は少ないようで、廃線跡の痕跡を探すのは至難の技かと思われます。とりあえず茂原駅を基点に出発しました。発展著しい現在のJR茂原駅は高架駅となっており、当時を偲ぶのは無理があります。南総鉄道の茂原駅は国鉄駅の千葉寄りにあり、廃止後は国鉄の貨物ホームとなっていましたが、現在ではキレイになくなっています。しかし、南総鉄道の廃線跡は、高架線のすぐ下に細い裏道として一部残っています。 ![]() 茂原駅前から離れ、高師交差点から国道128号線までの間も南総鉄道の廃線跡です。しかし道路は拡幅され、面影はありません。国道128号線から茂原バイパスの間には痕跡はありません。線路は道路より南側を通っており、市役所のそばを通り、茂原公園の南を抜ける間は完全に姿を消します。しかし藻原寺の少し先から上茂原までの間に再び表われます。南総鉄道の廃線跡ではもっとも当時の形に近い状態で残っている箇所です。田んぼの中を農道が一直線に貫いており、こちらは茂原駅前と違い、当時の雰囲気が残っています。 県道市原茂原線が一宮川を越える少し手前左側に南総鉄道の一宮川橋梁の一部が残っています。川の対岸だけしか残っていませんが、反対側も盛土が続いており、廃線跡であることは明確にわかります。 須田付近では、田んぼや道路に痕跡は認められず、米満の先からはいつのまにか廃線跡は国道409号線の反対側に移っています。国道と交差する付近は田んぼの区画や土地の起伏、現在の道路の方向と、南総鉄道のルートとあまりにも違いがあり、再調査の必要がありそうです(地図も間違っているかもしれません)。しばらく行くと再び田んぼの中の農道として廃線跡が残っています。こちらは国道からも盛り土が見え、汽車が走っている姿を想像することも難しくありません。上茂原と同様の景色が広がっています。![]() 南総鉄道の最大とも言うべき遺構が豊栄に残っています。三途川橋梁の橋台です。国道409号線の橋より左側(南東)方向に10数メートルの竹やぶの中にあります。ちょっと見ただけではわかりませんが、竹やぶの中に突然大きなコンクリートの固まりが出現しました。コケの生え具合が時間の経過を感じさせます。農道とは違い、鉄道が通っていたことが実感できる場所でもあります。 この先、千田交差点の少し手前に409号沿いから真直ぐ三途川橋梁方向へ向かうための小さな切り通しがあります(左写真/千田から三途川橋梁方向を見る/国道は左へカーブしていますが、鉄道は真直ぐ濃い緑の間を抜けていました)。 千田交差点から蔵持付近までは国道に沿ったり離れたりしていますが、痕跡はありません。蔵持付近の廃線ルート上に崖が削られている部分がありますが、民家が建っており、よくわかりませんでした。 蔵持から先は国道409号線そのものが廃線跡に作られています。南総鉄道時代の2つのトンネルが改修され、ひと回り大きくなって現在も使われています。笠森寺駅の跡地は、小湊バスの車庫として使われ、現在は石材店になっています。ここで下車し、笠森観音へ多くの参拝客が訪れていました。 笠森寺駅の先にもう1箇所(南総鉄道時代は2箇所)トンネルがありますが、それ以外は終点の奥野まで特に痕跡はありません。 ![]() |