明治23年8月25日、総武鉄道の建設工事が市川-佐倉間で始まる。用地買収に苦労し、資金難等もあり、なかなか大変だったようだ。このうち、現在の物井駅から佐倉駅へ向かうルートにも一転二転した経緯がある。
決定された佐倉と物井間のルートは、現在の寺崎トンネルのコースを予定していたのだが、トンネル掘削費用を浮かせるため、北に大きく迂回するルートに変更された。ここが今回取り上げる廃線跡である。物井を出ると一直線に進み、台地状の山の部分をよけている。この台地の部分を抜ける寺崎トンネルが開通したのはずっと後の昭和43年(1968年)3月のことである。複線化する際、物井側は地盤の弱さ、佐倉側は山と県道の間にあったため用地確保が困難であったこともルート変更の理由である。 |
![]() 現在でもJR物井駅を出て右方向にカーブする時に、カーブせず直進方向に築堤の跡が見えます。田園の中のためか、雑草が多く繁っている以外はそのまま残っている部分が多いようで、広い田んぼの中に一直線に雑草の繁る築堤がつながっています。![]() この旧線跡では最大の遺構である亀崎鉄橋の橋台跡があり、レンガも残っていました(一番上の写真)。所有者の国鉄清算事業団はこの橋台跡を含む旧線用地を払い下げる予定で、県内最古の鉄道遺構でもある同橋台跡は消滅の危機にあります。亀崎鉄橋は鹿島川を渡るための橋で、ここから長い鉄橋がかかっていました。鹿島川まではまだ距離があります。鉄橋の下にあった土地は今でもそのまま空地として残っています。雑草の少ない冬になると、鹿島川までの中間点に崩れかけたレンガも姿を現わします。前方、佐倉側を見ると、台地状に標高が高くなっている部分の切れ目の低い部分を目指しているのがハッキリとわかります。 ![]() 佐倉市に入っても、鹿島川の橋梁は撤去されていますが、川の反対側には再び築堤が続きます。(一番右上の写真) やがて右側の山が消え視界が広がり、一見すると廃線跡など気がつきませんが、よく見ると不自然な空き地に雑草が続いており、ここが廃線跡であることがわかります(左写真)。小さな小川を渡る橋を見つけました。(右写真/少しわかりにくいですが、黒い部分の下が小川、上を左右に築堤が続く)築堤跡はJR線の南側、大崎台へ抜ける陸橋のへ入る交差点を越え、千葉地方法務局佐倉支局の手前で終わっています。少し飛んで、佐倉駅のすぐ手前で旧線が現在のルートと合流する地点が残っています。(左上写真) |
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