| 富津岬と三浦半島観音崎は、江戸時代末期から首都防衛の最終ラインとして最重要地であった。一帯は要塞となり、砲台が設けられた岬先端に人工島、3つの海堡が築かれていた。 この要塞・富津岬へ向けて、大正13年(1924年)に青堀駅から軍用鉄道が敷設された。軌間は国鉄と同じ106.7cmであったが、それ以外はほとんどが極秘であったため、詳細は不明。当時の地図にも書かれていない。(下地図は昭和22年に発行された「昭和19年部分修正図5万分の1地形図をもとに作成) 開通した大正13年は、フランス製列車砲の採用が決定した年で、この列車砲の常備基地として富津岬に配備されることになったためと推定される。列車砲とは、長距離砲を鉄道車両に装備し、固定または移動して使用する。50度の仰角でどの方向へも射撃可能、最大射程50km、ヨーロッパで多く活用されたが、日本には90式24cmカノン砲一門だけが存在したようだ。昭和4年(1929年)3月にフランス・マルセイユから横浜に到着、梱包されたまま貨車で富津へ運ばれ組み立てられ、4月以降年末まで発車実験が行われた。弾丸は布良沖まで達し、実験結果は良好であった。 列車砲車庫は、現在のジャンボプール付近の地下壕にあった。列車砲はその後、昭和16年(1941年)に満州の国境守備隊へ配備替えとなったが、昭和20年(1945年)8月9日のソ連軍侵攻の際にはたまたま分解修理中で、結局敵に対しては一度も使用されないまま終わった。その後、ソ連に接収されたとされている。列車砲はこの一門のみで、昭和16年に日立製作所で製造が開始された三門は、資材不足のため完成しなかった。 |