| 鉄道連隊演習線の千葉-津田沼間については、そちらの項に譲る。鉄道大隊習志野軽便鉄道というのは、鉄道連隊演習線の前身の鉄道路線であり、多くはそのまま鉄道連隊に受け継がれており、特に区別する必然性もない。しかし、鉄道大隊習志野軽便鉄道には、後の鉄道連隊演習線に使用されなかった路線があるので紹介したい。 明治32年(1899年)、34年(1901年)にかけて、騎兵連隊兵営が建設した仮説線路跡を利用し、日露戦争直後の明治39年(1906年)1月、津田沼駅から騎兵連隊、高津厰舎を結ぶ軍用鉄道の建設が始まった。これは山川定吉を中心とする発起人が、総武鉄道津田沼駅から大久保の騎兵連隊、二宮村薬園台に至る軽便鉄道敷設の権利を陸軍が譲り受け建設したものである。鉄道大隊は、三山新田と高津新田の間にあったロシア将兵俘虜収容所跡のバラックを利用して設けられた。 習志野-津田沼間の軍用線は、鉄道大隊が鉄道連隊に昇格した明治41年(1908年)から42年にかけて敷設され、演習線としても利用された。江戸時代の馬の放牧地の囲い「野馬土手」を利用して作られている箇所が多い。騎兵第一旅団の騎兵第13、第14連隊、騎兵第二旅団の騎兵第15、第16連隊の各営舎と旅団司令部、衛戍病院(後の陸軍病院)、材料廠倉庫、俘虜収容所跡の高津厰舎を結び敷設されていた。 俘虜収容所の東、材料廠から薬園台の一番、二番、四番、五番厰舎までの軍用線は、大正5年(1916年)末に騎兵学校が出来、老朽化した厰舎が使用されなくなったとともに撤去されている。 なお、旧軍用施設の位置の現在との対比は次の通り。騎兵第13連隊は東邦大学、騎兵第14連隊は後に戦車第2連隊となり現在の日本大学生産工学部、騎兵第15連隊は東邦大学付属中・高校・習志野警察署など、騎兵第16連隊は後に陸軍習志野学校となり現在の泉町3丁目の公園や周辺の住宅地、陸軍病院は国立習志野病院、陸軍騎兵学校・演習場・射撃場は陸上自衛隊習志野駐屯地、高津厰舎は川鉄金属工業習志野工場、糧秣厰倉庫は習志野高校、鉄道第二連隊は千葉工業大学等、鉄道連隊材料廠倉庫は千葉工業高校を経てイトーヨーカドーや周辺の商業地域とその裏の駐車場となっている。 |
