九十九里鉄道

 大正15年(1926年)11月25日に九十九里軌道が開業。昭和に入り、上総片貝から海岸沿いに成東町大須賀と豊海村への延長計画や、千葉までの延長計画もあったが実現しなかった。途中、堀上、家徳、西の3駅があり、昭和3年(1928年)5月に荒生駅を設置。昭和6年(1931年)、適用法規が軌道法から地元鉄道法に変更されたことから九十九里鉄道と社名が変わった。昭和14年(1939年)11月には学校前仮駅を設置、この駅は一時廃止されるが戦後昭和28年(1953年)に復活している。
 太平洋戦争中に強制的に行われたバス路線統合により京成電鉄の傍系となるが、天然ガス利用等により、辛うじて気動車運行を維持していた。戦後直後にはガソリン不足等や買い出し客の殺到で短期間SL運転を行った。
 松本清張の『九十九里浜』の中に次のような描写がある。「大網で乗り換えて、次の東金で降りると九十九里鉄道の貧弱な駅が眼の前にあった。汚い廃車が待避線に棄てられたように据えられてある。駅の中の時刻表を見上げると、片貝行きは二時間も待たねばならなかった。」昭和31年(1956年)頃の光景である。この時期に廃車は1台もなかったので、廃車と間違えるほど手入れがなっていなかったのであろう。
白土貞夫氏撮影
 車両は単端式ガソリンカー。単端式とは、成田鉄道の八街線や夷隅軌道でも使われたタイプで、前進本位の構造の気動車のことである。ボンネットが前に飛び出しており、バスのような見映えであった。終点に到着後、転車台で方向転換しなければならなず、東金と上総片貝構内には人力で回す小さな転車台があった。終点で乗客をすべて降ろすと先頭車だけ切り離され、一番奥の転車台に移動し、運転士と車掌嬢が2人で左前と右後を押して回転させた。
 ほぼ直線、勾配もない東金-上総片貝間8.6kmの所要時間は昭和10年(1935年)頃は24〜26分、戦後27分。海水浴シーズンにはあふれんばかりの客を運んだ。戦後、中間の家徳駅の行き違い設備を撤去してしまったため、列車が終点に到着すると同時に上り列車が発車していた。中間駅はすべて無人駅。
 大正時代の姿のまま運転を続けた九十九里鉄道は、近代化する資金不足と並行するバス経営のため、昭和36年(1961年)2月28日で営業停止した。

停車駅
東金 - 堀上 - 家徳 - 荒生 - 西 - 学校前 - 上総片貝

現在の跡地を歩く(2002.1)

 九十九里鉄道の廃線跡には、決定的な遺構はほとんど残っていませんが、意外なほど痕跡は多く残っていました。
 JR東金駅の東口、現在は駐輪場になっている付近に九十九里鉄道の東金駅がありました。ロータリー中央の植え込み付近には旧本社や修理工場がありました。上の写真の手前方向、跨線橋の南付近に転車台がありました。
 駐輪場の先、道路と線路の間の砂利の空地も廃線跡です。そのままJRの線路と並行して進むと東金踏切のところまで細長い空地が続いています。踏切の先も少しだけ空地があり、この踏切の先から九十九里方向に大きくカーブしていたことがわかります。
 保健所で遮られた後、再び廃線跡が道路に転用された箇所があります。しかし、ごく一般的な路地で、他の道路との見分けはつきません。
 東金バイパスを越えると、九十九里鉄道がどの位置を走っていたのかはハッキリと分かります。しかし廃線跡ではなく、なぜか東金市浄化センターの用水路に変貌しずっと続いています。
 堀上駅のあった場所も他と変わらず用水路になっていますが、そこだけ微妙に他と区画が違うようで、家が用水路ギリギリまで接近しており、向かいは林になっていました(写真)。用水路は市街地のはずれまでずっと続いています。
 市街地を出、東金市浄化センターを過ぎると真亀川にぶつかります。何か痕跡があるかと思いましたが、残念ながら何も見つかりませんでした。
 真亀川を越え田園地帯に入ると、田んぼの中の畦道のような廃線跡が続いています。100mほど進むと、九十九里鉄道唯一最大の遺構があります。築堤の中にコンクリートの橋台跡が残っています。(この橋台跡は、廃線跡と並行する県道東金片貝線からも見えます)
 家徳駅があった場所付近では再び住宅地となりますが、田んぼから続く廃線跡は畦道から砂利道、やがて舗装道となり、そのまま集落の中を真っ直ぐに貫いています。家徳駅で列車の行き違いが出来るようになっており、他よりも敷地も広くなっていました。現在では駐車場になっています。
 荒生駅付近になると県道と廃線跡はかなり接近し、畑や住宅の中をこんもりと雑草で埋めつくされた盛土が続いているので、すぐにわかります。一部に廃棄物や廃車が投棄してある所もありました。残念ながら、荒生駅のあった場所は特定出来ませんでしたが、向こうからボンネット付きのガソリンカー列車が走って来そうな雰囲気です。
 東金市から九十九里町に入るとすぐに県道上に「九十九里学園前」バス停があります。このバス停の前は少し広くなっていて、ベンチや植え込みがありますが、ここからは県道とは別に、廃線跡がサイクリングロードとして整備されており、線路の模様のタイルがずっと続いています。(タイルのパターンは、車道と交わる毎に異なったデザインに切り替わります)
 サイクリングロードは片貝小学校の横まで続いています。 そしてそのサイクリングロードの入口には「きどうみち」という門が建っています。九十九里鉄道は当時、地元の人たちに「軌道」と呼ばれ親しまれていましたが、その名残りです。きれいに整備されているため、東金市内のような当時の雰囲気は感じられませんが、何となく嬉しくなってしまいます。
 サイクリングロードが終わると、間もなく終点です。左方向に90度カーブします。この付近の廃線跡は道路として残っており、住宅地の中をゆるやかにカーブしていきます。このゆるやかなカーブが鉄道の廃線跡ならではです。
 県道を越えると細い路地になってしまいますが、その奥に九十九里鉄道バスの基地があります。現在でも「九十九里鉄道」の名を残すバス会社の拠点であるこの地がかつての上総片貝駅の跡地です。方向転換するためのターンテーブルもあった広い敷地ですが、現在はバスが停車したり、黒く塗り潰された廃車置場になっているだけで何も残っていません。バス停の名前が「片貝駅」となっていますが、これは昔の上総片貝駅を偲ばせる名前というよりも、千葉方面へのバスターミナルであることが理由ではないかと思います。右上の写真の左奥に転車場がありました。
 当時も今も、ここから歩いて数分で広大な砂浜と太平洋に出ます。
地図

番外編

朽ち果てる単端Uncle Fukuさんから、昭和47年(1972年)頃の貴重な写真の掲載許可を頂きました。東金駅の裏で朽ち果てつつあった無惨な姿の九十九里鉄道の車両。国鉄の側線の横に単端たちが15年間も放置して並べられていました。京成が船橋ヘルスセンターと谷津遊園を結ぶ遊覧鉄道建設を計画しており、これに転用される予定だったためですが、結局実現しませんでした。
車両を寄贈された東金ときがね幼稚園でもすでに老朽化して危ないと解体してしまったとのことです。
Uncle Fukuさんのホームページには、他にも当時の写真が出ていますので、興味のある方はチェックしてみて下さい。

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