県営鉄道 多古線・八街線

 多古線は明治44年(1911年)7月5日、成田-三里塚間が開業。10月5日に三里塚-多古間が開業した。また遅れて大正3年(1914年)5月18日に三里塚-八街間の八街線が開業した。陸軍鉄道連隊の施設、車両を借用して敷設された。線路の幅はわずか60cm。日本で最も線路の幅が狭い。SLも重量7.5tで、2台が尻同士を連結したような双合式と呼ばれる特殊スタイルであった。これは元々が軍事用で、敵襲を受けた時に素早くバック可能にするためである。
 機関手は鉄道連隊の兵士、車掌や駅員は県職員であった。速度は遅く、成田-多古間9.6kmに2時間もかかっている。人間の歩く速さとそう変わらない程度である。脱線も一日5回もあったと新聞にある。
絵葉書(白土貞夫氏所蔵)
 大正15年(1926年)12月5日、多古-八日市場間が開業し、この間の軌道幅は国鉄と同じ106.7cmであった。多古を境に線路幅が違うため直通運転が出来ず不便なため、軽便区間を拡幅する工事が行われ、昭和3年(1928年)9月25日に完成している。その時、ルートに変更を加え、千代田村(現芝山町)白枡経由、多古駅も移転することとなった。しかし利害が絡み多古町は真っ二つに割れ争いが起こり、結局は白枡線案は撤回、多古駅は移転するという両者の中間の妥協案が採用された。
 陸軍からの借用期限が切れた大正5年(1916年)、車両や施設の返還を迫られた多古線は、当時の知事・折原己一郎の奔走により無償で千葉県に移管。しかし経営は大赤字。昭和2年(1927年)4月に成田電気軌道に売却された。

停車場
多古線 成田 - 西成田 - 東成田 - 法華塚 - 三里塚 - 千代田 - 五辻 - 飯笹 - 染井 - 多古 - 下総吉田 - 豊栄 - 西八日市場 - 八日市場
八街線 八街 - 東八街 - 古込 - 八街街道 - 実ノ口 - 十倉 - 高野 - 富里 - 川津場 - 根古名 - 三里塚

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