大正12年2月19日には新しいガソリンカーを2両増やしたため、従来の8人乗り客車と貨車を補強し、連結器を新設した。この年から後はは旅客も増え続け、株主への配当も出るほど利益も上がった。大正元年と比べると運賃は3倍に上がっている。 しかし大正14年(1925年)、政府は木原線の建設着手を決定、夷隅軌道にも東京建設事務所から直接内示があった。木原線建設に際して、夷隅軌道の路線は11箇所の付け替えと8箇所の交差地点が生じ、運行上支障を来たすこととなった。完全に並行する国鉄が開業してからは営業困難が明白なため、夷隅軌道を路線工事資材の運搬用に買い上げて欲しい旨、請願書を提出し、認められている。 夷隅軌道は昭和2年(1927年)8月31日で閉業、木原線は昭和5年4月1日に開通している。大原-大多喜間の所要時間は県営時代が2時間、夷隅軌道時代が1時間、木原線は30分。運賃は人車が20銭程度で始まり46銭へ値上げ、夷隅軌道が63銭なのに対し、木原線は25銭である。輸送実績は人車時代の10倍に達している。 |
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