夷隅軌道

(白土貞夫氏所蔵)
 県営軌道大多喜線が経営難により個人に売却された特許権は、大正10年(1921年)11月に譲渡され、夷隅軌道が誕生した。県営時代と同じ人車での営業であったが、翌年9月にからは20馬力エンジン、定員10人のガソリンカーが導入された。県内気動車の始まりである。重量が3倍以上になったため、枕木やレールの交換が必要とされた。所要時間は1時間に短縮された。
 大正12年2月19日には新しいガソリンカーを2両増やしたため、従来の8人乗り客車と貨車を補強し、連結器を新設した。この年から後はは旅客も増え続け、株主への配当も出るほど利益も上がった。大正元年と比べると運賃は3倍に上がっている。
 しかし大正14年(1925年)、政府は木原線の建設着手を決定、夷隅軌道にも東京建設事務所から直接内示があった。木原線建設に際して、夷隅軌道の路線は11箇所の付け替えと8箇所の交差地点が生じ、運行上支障を来たすこととなった。完全に並行する国鉄が開業してからは営業困難が明白なため、夷隅軌道を路線工事資材の運搬用に買い上げて欲しい旨、請願書を提出し、認められている。
 夷隅軌道は昭和2年(1927年)8月31日で閉業、木原線は昭和5年4月1日に開通している。大原-大多喜間の所要時間は県営時代が2時間、夷隅軌道時代が1時間、木原線は30分。運賃は人車が20銭程度で始まり46銭へ値上げ、夷隅軌道が63銭なのに対し、木原線は25銭である。輸送実績は人車時代の10倍に達している。

停車場
大多喜 - 増田 - 引田 - 苅谷 - 新田野 - 山田 - 七曲 - 新田 - 大原

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