銚子の中心街から海岸線を通り、外川への鉄道敷設案は、明治34年(1901年)に総武鉄道により銚子駅からの延長計画があり、免許も得ていたが、土地買収に失敗し実現しなかった。続いて、地元が銚子人車鉄道案が浮上。途中から在京の有力資本家を加え銚子遊覧鉄道として大正2年(1913年)12月28日に開業した。区間は銚子-仲の町-観音-本銚子-海鹿島-犬吠の5.8km。犬吠駅は現在よりも400mほど外川寄りにあった。一日7往復していたが、始発が銚子発で7:30、犬吠発で8:03なので、通勤に使う者はほとんどいなかったと思われる。 経営は赤字続き。第一次世界大戦による鉄不足からレールや機関車を売却した方が利益があがるとし、大正6年には具体化し始めた。しかし外川を中心に沿線住民に大きな反対運動が起こった。日本で最初の鉄道廃止反対運動である。しかし結局11月20日(書類上は11月30日)に営業廃止が許可され、会社は即日運転停止。住民とのしこりを残した。 廃止後、線路用地寄付を条件に国鉄延長を陳情するも失敗、大正7年7月15日からはバス専用道として活用された。日本初の自動車専用道である(定説では北海道旭自動車道だが、開通は12月)。 不思議なことに、大正12年(1923年)7月5日に、銚子遊覧鉄道の株主と同一メンバーにより鉄道は復活している。これが銚子電気鉄道、現在まで続いている。東京の資本家による銚子海岸鉄道の動きがあっため、それなら地元でということだろうか。銚子電気鉄道は犬吠から先、外川まで延長された。 |
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