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| 習志野 |
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昭和62年、習志野が6回目の甲子園を決めた。しかしこの6回目の甲子園、そしてその前の5回目の甲子園は、他とは少し違う意味合いを含めた栄冠だった。 まだ全国制覇の余韻が残る昭和53年6月下旬。夏の県予選直前だ。読売新聞に「習志野高野球部で暴行」「一年生たるんでいる 二年生部員が次々殴打 耳に大ケガも」と掲載された。 チームに不満を持つ何者かの密告によるものらしい。過熱する取材合戦。しかも獲物は全国制覇をして間もない有名チーム。一度「暴行」などと報道されれば、弁解する余地もないままに出場辞退となってしまう。 この時の1年生が3年生になった年、習志野は全国制覇以来5年ぶりの甲子園に進出している。先輩が奪われた夢を後輩が実現してみせた。 昭和60年。怒濤の勢いで勝ち進む永遠のライバル・銚子商をストップすべく習志野が立ちふさがる。事実上の決勝戦と言われた。私も楽しみにして球場へ行ったものだ。しかし天台球場には「銚子商の不戦勝」を告げるはり紙があるだけだった。 試合前日。まさかの悲劇に襲われていた。習志野の1年生部員の死亡。 こちらの例はある程度仕方のないことかもしれない。 試合に負けて悔し涙を流すのはしょうがない。しかし試合をする機会すら奪われて悔し涙を流す高校生。習志野高校のように本気で甲子園に照準を合わせ、その日のために練習に練習を重ねているチームにとって、その舞台すら奪ってしまう非情さ。 2年粗、その時の1年生が3年生になり7年ぶりの甲子園に進出した。2つの事件は別個のものであって直接は何の関係もない。が、ともに当時に辛い思いをした1年生が2年後に栄冠を掴むという点が一致している。選手の強さ、頑張りには頭が下がるばかりだ。 ここに書いたことは、もちろん事件を正当化するためのものではない。死んでしまっては取りかえしがつかないし、今となっては御冥福をお祈りするしかない。しかしお祈りするどころか、格好の獲物とばかりに振る舞う、しかも未成年者を相手に大の大人の行動に憤りを感じてのものなのだ。 |
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