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私と高校野球 習志野

全国制覇監督(M2)

 千葉県勢の全国制覇は3回。銚子商が1回と習志野が2回。監督は銚子商が斉藤監督、習志野は石井監督と・・・?
 千葉県初の全国制覇時の監督をご存知でしょうか?

 江戸川を渡り、千葉県に初めて深紅の大優勝旗がもたらされたのは昭和42年。この年の習志野はまだ甲子園出場2回目で、ほとんど無名校。「ならしの」と読めない人も多かった。当然、前評判も高くなかったが、あれよあれよと勝ち進み優勝してしまった。エースの石井好博投手は後に習志野の監督となり、再び全国の頂点に立っており、選手と監督両方での全国制覇は史上初という有名人だ。

 この時の監督の名を市原弘道という。習志野高校を優勝させた後、八千代高校ではテニス界でも全国に名を轟かせている。

 さて、私と市原監督との接点は意外なところにある。
 私は佐倉高校出身だ。野球をやっていたのではなく、ろくすっぽ学校にも顔を見せず、辛うじて落第せずに卒業できた落ちこぼれである。(^_^;
 特に出来が悪かったのは英語で、毎回赤点と格闘していた。その佐倉高校の英語の教師に何と市原弘道先生がいたのだ。
 とは言っても、直接英語の授業を受けたことはなく、赤点で呼び出された際に何度も顔を見てはいたが、まさか甲子園優勝監督だとは思いもしないでいた。

 在校中、一度だけ話しをする機会があって、ここぞとばかり話しを聞いたことがある。私は当時の習志野のことなど、エースが後に習志野の監督で有名になるということくらいしか知らなかった。
 自分の英語の成績が悪いため、あまり大きな顔は出来ず消極的にしか話しが出来なかったのだが、野球に関する話しも少し聞けた。

 まず、目標は甲子園であって、全国優勝するなどとは考えていなかったとのこと。特に、初戦の相手の堀越には練習試合でいつも負けていたと教えてくれた。
 「なぜ、高校野球の監督をやらないのか」については、
「やるからには甲子園を目指したい。しかし優勝するには自分の生活も家族も犠牲にしないと出来ない。今はとてもそこまでは出来そうもない」と答えてくれた。温厚な表情からは想像も出来なかったが、恐らく過酷な練習を積んだのだろうと思った。
 現在の(当時の)佐倉高校野球部についてどう思うか聞いたが、よく頑張っているしとても真面目だが、甲子園がどうのというレベルではない、というような意味のことを言っていた。私が在籍していた3年間、佐倉高校は夏の千葉大会で2勝しかしていない。

 今となっては、もっともっと沢山聞きたいことがある。市原監督が考案したという絶妙の牽制球についてや習志野の近代野球について、準決勝後の事件のこと、当時の有力選手について、銚子商の存在について等だが、当時の私の知識不足が残念だ。

 千葉県初の甲子園優勝監督の市原弘道元監督は、私の在学中の昭和63年10月に帰らぬ人となった。ご冥福をお祈り致します。

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