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千葉大会5本塁打の成田・牧野
昭和30年(1955年)、千葉に長嶋以上の怪物が登場した。成田のエース牧野である。
牧野はエースで4番、しかもキャプテン。夏の大会初戦の千葉三戦、続く佐倉一戦で2試合連続ホームラン。しかしこれはホームラン量産の序章に過ぎなかった。
迎えた千葉大会の準々決勝の佐原一戦。佐原一のドロップ投手・藤原から3試合連続となるホームランをかっ飛ばした。打球は千葉寺球場のレフトスタンドを軽々と越え、特大の場外ホームランとなった。両翼91.4mの外にある畑まで飛んだ打球は推定飛距離130〜140m。スタンドを越えてボールを畑までたたき込んだのは千葉寺球場が取り壊されるまで牧野以外とうとう現われなかった。
牧野は千葉一との決勝戦でも観客のド肝を抜く2本塁打を放ち、怪物ぶりをいかんなく発揮した。1大会5本塁打は大会新記録となった。
成田は牧野に加え、一鍬田、平山の中軸3人で計9本塁打。圧倒的な破壊力の強力打線で千葉を制した。
南関東大会は暑気あたりか、牧野が体調を崩し最悪のコンディションとなってしまったが、それでも牧野を中心とする活躍で成田は5度目の甲子園に進出している。
千葉勢低迷
昭和31年(1956年)5月21日。春の関東大会で地元・千葉商が早稲田実と対戦した。早稲田実の投手は体格は良いもののまだあどけない1年生。速球は冴え、カーブ、ドロップも切れがあり千葉商は終盤まで打つことが出来ず・・・、この1年生の名を王貞治といった。
1年生投手にひねられた千葉商は夏に奮起。千葉一、成田、船橋と撃破、南関東大会では銚子商も倒して甲子園に進出した。甲子園では中京商に完封負を喫している。
翌年の千葉大会、彗星のごとく登場した城之内投手の佐原一が2回戦で優勝候補・千葉商を3-4で下した。この試合で城之内投手は13奪三振を記録。
しかし佐原一はこの後、南関東大会で成田の前に涙を呑み、その成田も敗れ千葉からは甲子園に出れず、成田が穴沢投手で4強入りして以来、千葉勢は5年間で甲子園で1勝しか出来ないということになった。
1県1代表 森投手の無失点記録
昭和33年(1958年)は40回の記念大会のため初の1県1代表となり、二次予選なしで千葉の優勝校がそのまま甲子園に進出出来ることになった。この年の千葉は記録的な好投手が続出。その中でも千葉商大付の高橋保隆投手が2年生ながら木更津一を相手にノーヒットノーランを達成した。
一方、高橋投手以上に注目を集めたのは、春に優勝している優勝候補・銚子商。エース森が素晴らしい投球を見せ、安房農、安房水産、千葉経済、成田、千葉商と5試合すべてを完封勝利で飾り、39イニングス連続無失点記録を引っ下げての優勝となった。銚子商はついに夏の初出場である。
この年は記念大会で試合数が多いため西宮球場も併用し開催された。銚子商も西宮での試合となった。森投手は初戦で甲賀を完封し無失点記録を伸ばしたが、2回戦の高知商戦の4回についに失点し、52イニングス目で記録は止まった。試合も負け、銚子商の初めての夏は甲子園を経験出来ずに終わった。
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