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ジンクス破った市立船橋
平成8年(1996年)春は拓大紅陵が出場。防御率0.77の亀井投手で挑んだが、初戦の東邦戦で守備が大きく乱れ打撃戦の末敗退。緻密な野球が得意な拓大紅陵らしからぬ試合だった。
夏の千葉大会。ジンクス通りであればこの年は私立の年。ベスト8のうち7校が私立となり、この年もジンクスは守られるかに思えたが、唯一残った市立船橋が専大松戸、八千代松陰、そして決勝で二松沼南を下して優勝。前年の銚子商に続き公立校の連覇で千葉のジンクスはついに破れた。
2年生速球投手・長尾から技巧派・松尾へのリレーが必勝パターンの市立船橋。甲子園初戦の佐伯鶴城戦では延長11回サヨナラで勝利、2回戦でセンバツの覇者で優勝候補No.1の鹿児島実と対戦した。好試合となったが、好投手・下窪を打てず、逆に長尾は好投を見せるもわずかなスキから加点され力負け、3-5で惜敗した。経験の差が出たといった感じだった。
翌平成9年(1997年)、再び市立船橋が代表の座についた。長尾、松尾の両エースは健在。千葉大会の連続優勝は昭和48年(1973年)、49年(1974年)の銚子商以来、実に23年ぶりのことだった。
甲子園初戦の相手は初出場の文徳。はつらつとした文徳の攻撃に守備のミスも重なり、序盤で大量失点、3回表で1-9とリードを許した。しかしジリジリと詰め寄り、6回裏に相手のミスと打者一巡の猛攻で一挙10点、記録的な大逆転勝利を飾った。
この後、仙台育英、甲府工にも逆転勝ちし「逆転の市船」と呼ばれたが、準々決勝で浦添商の迫力ある打撃に敗れた。しかし有力選手の分散が進む戦国千葉において、全国の強豪相手にいかに戦うべきかを示したかのような戦いぶりであった。憎いほどの試合巧者ぶり、相手の嫌がる攻撃、相手を幻惑させる足を駆使した機動力、そして何よりも堅実な守備。大型チーム相手にも食らいつく洗練された試合ぶりであった。
記念大会で2校出場
平成10年(1998年)は80回の記念大会のため、千葉は東西に分けられ初めて2校出場となった。この他、従来の北海道と東京に加え、埼玉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡も2校出場となっている。
東西とも学校数はほぼ同等、過去の成績でも全国制覇の銚子商と習志野が東西に分けられ、その他の強豪校も東西にバランス良く振り分けられ、我孫子、沼南、八千代から印旛、東総、内房、外房が東、ベイエリア、東葛飾地区が西となった。夏のシード校を決める春季大会から東西に分けて開催された。
東大会は鋭く沈むスライダーが武器の好投手・多田野を擁する八千代松陰が、西大会は試合巧者の市立船橋が3年連続の甲子園を射止めた。
記念大会の甲子園。八千代松陰の相手はPL学園。八千代松陰は好投手・上重投手から1回、2回と得点し試合の主導権を握りかけたが、3回、6回と、いずれもピンチで投げた自慢のスライダーを打たれてしまった。高めの伸びる直球を見極められ、試合は2-6で敗れた。
市立船橋も逆転を許し終盤に失点を重ね尽誠学園の前に大敗した。この年は松坂投手の横浜が春夏連覇を達成している。
蒲原監督の柏陵
平成11年(1999年)春、柏陵が初めて甲子園の土を踏んだ。柏陵の蒲原監督は、佐賀商、千葉商、印旛で甲子園経験をしているベテランで、これで公立ばかり4校目の甲子園。全国の名将の中でも4校を甲子園に導いているのは蒲原監督だけである。蒲原監督はこの年限りの勇退が決まっていた。
柏陵は春は初戦で敗れたが、キレの良いカーブを投げ、度胸のいい清水投手を中心にした好チーム。夏の千葉大会。千葉県初の4年連続出場を狙い、前年からの主戦投手・前川が残る市立船橋を激闘の末に下し、決勝では市立銚子と白熱の大投手戦を展開し、延長12回サヨナラで春夏連続の甲子園を決めた。
甲子園では、如水館、福知山商、旭川実とほとんど打たせずに完勝し、ベスト8に進出。準々決勝の智弁和歌山戦でも好投し、この日も抑えられそうな雰囲気になった終盤、勝ちを急いだ清水投手の配球が単調になり、ストレートを連打され逆転負けした。
背番号4のエース
20世紀最後の大会となった平成12年(2000年)、千葉大会でもそれほど注目されていなかった東海大浦安が18年ぶりの甲子園を決めた。東海大浦安のエース井上は大会前にケガで入院、キャプテンの浜名が急造投手として投げての優勝だった。
エース不在ということで甲子園での評判も高くない東海大浦安。初戦の相手は2年生豪球投手・神内とこれも驚異の2年生4番・小林のいる延岡学園だった。試合は押され気味ながら好守で0-0のまま8回へ。警戒していた小林に特大の2塁打を打たれ、これを足がかりに先制を許した。しかしその裏、リードして浮き足立ったか、延岡学園に暴投とエラーがあり東海大浦安が逆転に成功。9回表の延岡学園は二死から2塁打で同点のチャンス。さらに次打者がライト前へクリーンヒット。誰もが同点と思ったその瞬間、ライト相沢からの矢のような送球でバックホーム、タッチアウトで試合終了。正に東海大浦安にとっても延岡学園にとっても信じられないような一瞬だった。
この試合で波に乗った東海大浦安は3回戦で日大豊山に快勝、準々決勝の横浜戦は苦戦したがワンチャンスを生かしての辛勝、準決勝は機動力が自慢の育英を相手に序盤から大量点を挙げ快勝した。どの試合も小柄な浜名投手がキレ味鋭いシュートを最大の武器に、捕手・藤岡との息のあったセンスの良い投球術が印象的だった。また準決勝の終盤で初めてエース井上が登板したが、こちらは緊張からか四球を連発し自滅してしまい不安を残した。
決勝は強打の智弁和歌山、前年に柏陵・清水投手も打たれている相手だ。智弁和歌山はセンバツも準優勝、史上最強の打線と言われている。頼みの浜名投手は、千葉大会からほとんど一人で投げ続けて来たため、準決勝の終盤からすでに握力がなくなっており、決勝戦は自慢の内角をえぐるシュートは死球となり、コントロールも定まらず、智弁和歌山打線につかまってしまう。東海大浦安は打線が奮起し、終始リードを奪う試合展開ではあったが、終盤8回ついに智弁和歌山の長打攻勢に沈んだ。智弁和歌山はこの試合でも3本のホームランを打ち、チーム本塁打11は大会新記録、最多安打記録も塗り替える猛打ぶりだった。
一方の東海大浦安の背番号4の小さな好投手は大会屈指の技巧派右腕と評価され、高校全日本選抜チームのエースに選ばれた。
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