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復活の兆しと成東の悲願
平成元年(1989年)春、関東チャンピオンとして市立柏が初出場。元木、種田の上宮の前に初戦敗退。
その夏、好投手・押尾を擁して堅守の成東が快進撃。準々決勝は因縁のライバル・銚子商戦。昭和40年代を彷佛とさせるような延長にもつれ込む大熱戦は成東がサヨナラ勝ちを収め、ついに銚子商に勝利。成東は準決勝の習志野、そして近年の千葉の王者・拓大紅陵を、いずれも堅守で下し、ついに悲願の甲子園へ。成東の初栄冠に千葉の高校野球ファンの多くが感動の涙を流した。守って勝つ成東の野球は甲子園でも智弁和歌山を下し1勝を挙げた。
昭和61年(1986年)の拓大紅陵から夏は4年連続で初戦突破、この頃から野球王国へ復活の兆しが見え始める。
35年ぶり、奇跡の成田
成東の悲願達成の翌年、今度は成田が猪股投手を擁して35年ぶりの復活を果たした。千葉大会初戦で劇的なサヨナラで勝利を収めた成田は3回戦で千葉商と対戦。3-0とリードされ、9回1死一塁から平凡なショートゴロで併殺、試合終了かと想われた瞬間、セカンドの低投で一塁はセーフ。2死二塁から赤尾のタイムリーで1点を返した後、高瀬が初球を左翼席に本塁打し、あっという間に同点。更に冨樫が三塁打、吉川が右中間へ流し打ち、まさかのサヨナラ勝利であった。
4回戦でも逆転勝利を収めると、5回戦は速球が評判の好投手・石井一久を擁する東京学館浦安と対戦。猪股・石井両左腕の激しい投げ合いとなるが、機動力を駆使した成田が競り勝った。完全に勢いに乗った成田は、強打の横芝敬愛、優勝候補・習志野を下し、決勝は暁星国際に快勝し35年ぶりの甲子園を決めた。
甲子園では初戦に勝利した後、2回戦でその年優勝した天理と対戦。大型投手・南を擁して優勝候補筆頭の天理を相手に優勢に試合を進め、猪股投手は天理打線を6回までノーヒットに抑える活躍。惜しくも逆転され敗れるが、千葉のノーシードから勝ち上がり、全国優勝の天理をあと一歩まで追い詰め、強烈な印象を与えた。
我孫子の親子鷹
平成3年(1991年)は親子鷹で話題になった我孫子が13年ぶりに千葉を制した。13年前同様、決勝で銚子商を下しての甲子園進出となった。
13年前の初出場時はまだ小さな子供だった荒井監督の息子がエースで4番に成長。甲子園では米子東に勝ち初勝利を挙げ、強打の西条農も逆転で下し甲子園で2勝を挙げる活躍を見せた。
豪華投手で準優勝
平成4年(1992年)、拓大紅陵が4年ぶり4回目の夏の甲子園。4年前、6年前は優勝候補だったものの上位進出は成らず不完全燃焼に終わっている拓大紅陵の甲子園。この年の拓大紅陵はサイドスローのエース冨樫と速球派の杉本がおり、左腕・多田も順調。初戦の智弁和歌山戦では杉本-冨樫のリレーで接戦をモノにし、続く佐世保実戦では先発・杉本から多田がロングリリーフで好投、最後は冨樫が締めての完封リレーで勝利。
準々決勝、やまびこ打線の池田戦の先発はまさかの下手投げ・紺野。紺野は千葉大会でもほとんど登板していない。試合は紺野が好投し、強打で有名な池田を6安打1失点に抑えた。これが紺野の公式戦初完投だった。池田の宮崎投手を打てない拓大紅陵打線は土壇場9回、立川が起死回生の逆転ホームランをレフトへたたき込み劇的な勝利を収めた。
準決勝は速球投手・渡辺の尽誠学園。拓大紅陵は前の試合で紺野が完投したため、エースナンバーをつけた冨樫が満を持して先発。それまで一人で投げ続けてきた尽誠学園の渡辺投手は限界に達しており、6回で降板。最終回に抑えで登板した多田が打たれ1点差に詰め寄られるものの逃げ切りで決勝進出。千葉県勢としては、昭和56年(1981年)センバツの印旛以来、夏は優勝した習志野以来の決勝の舞台へ上がった。初戦からの勝ち投手は、杉本、多田、紺野、冨樫と全員違う顔ぶれの豪華さだった。
決勝戦。相手の西日本短大付はエース森尾が一人で投げ抜き、ここまでわずか1失点だけの安定ぶり。速球にカーブ、スライダー、時おりフォークも見せ、何と言っても抜群のコントロールが持ち味の小柄な好投手。拓大紅陵の先発は池田戦で好投した紺野。2回にスクイズで1点を先制されたものの、この試合も素晴らしい投球を見せた。一方、拓大紅陵打線は大会ナンバーワン右腕・森尾を崩そうとあらゆる手を尽くす。強攻策、小技、エンドランからスクイズ、盗塁。だがあと一歩のところで得点出来ず0-1、頂上へ重いあと1点となってしまい、惜しくも準優勝に終わった。毎試合違う投手を使う豪華な投手陣の拓大紅陵だったが、最後はたった一人の右腕に敗れた。千葉県勢が初めて決勝に進んだ時と同様、劣勢と思われた福岡勢に屈した。
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