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新生・習志野
21世紀最初の年の2001年(平成13年)。千葉を制したのはノーシードながら2年目の椎名監督率いる習志野。名門でありながら新しい風も感じさせる21世紀に相応しいチームだった。100人を超える部員数は甲子園出場校中最多だったが、チーム一丸となる122人全員野球の姿勢が話題になった。1回戦、2回戦とともに強打の四国の強豪チーム・尽誠学園、明徳義塾と対戦し、接戦をモノにし優勝候補を撃破した。どちらの試合も習志野の大会No.1の守備力が光る好試合だった。それだけに3回戦の明豊戦での守備の乱れが残念だった。
フォークボールを駆使するエース佐々木投手は、この年横浜ベイスターズからシアトルマリナーズに入った「ハマの大魔神」佐々木主浩投手にちなんで「習志野の大魔神」と呼ばれた。大会後、高校選抜チームにも選ばれている。
これが千葉の生きる道?!
市立船橋が示した隙のない試合運びや高度な連携、守備などに加え、全国トップクラスの決め球を持ったエースを擁したチームが3年連続で結果を出した。柏陵・清水のカーブ、東海大浦安・浜名のシュート、習志野・佐々木のフォークはいずれも超高校級で、まず打たれることはなかった。このためどんな強豪が相手でも接戦に持ち込むことが可能であり、試合巧者ぶりに加える戦い方が有力選手が分散している千葉の生きる道ではないだろうか。
ミラクル佐倉
サッカーワールドカップで沸いた2002年(平成14年)夏、千葉の高校野球発祥の地とも言える佐倉が快進撃を見せた。4回戦、強豪・志学館との試合ではノーヒットに抑えられながら9回サヨナラ勝ちで奇跡的な勝利を挙げ、ミラクルぶりを発揮。続くシード校・千葉日大一を終盤の集中打で振り切ると、準々決勝では好投手・廣田を擁する東海大浦安に4点を先行されながら、1イニングに2つの走者一掃の3塁打と2ラン等で一挙9点の爆発力で、あの長嶋でベスト4に入って以来実に49年ぶりとなる準決勝進出を果たした。
準決勝では中央学院に敗れたが、この年唯一残った公立校として、またオールドファンの期待を集める中、全国的にも注目を集めた。ミスタープロ野球・長嶋を輩出しながら、高校野球界では千葉県内でも目立たない存在だっただけにその反動からか大いに盛り上がった。
この年、千葉を制したのは拓大紅陵。強豪校が集中する最も厳しい組合せの中、金田(市立船橋)、小林(市立船橋)、浅間(敬愛学園)、土谷(千葉英和)、池田(中央学院)といった好投手を次々に攻略しての圧巻の優勝だった。1992年(平成4年)の甲子園準優勝以来遠のいていた夏の甲子園に10年ぶりの復活となった。
期待された甲子園は残念ながら初日に智弁学園に敗れた。
関東のカベ
2002年(平成14年)秋の関東大会、千葉代表の2校がともに初戦敗退し、翌春のセンバツは絶望となった。これで1999年(平成11年)の柏陵以来、4年連続でセンバツに出場出来ないことになる。この間、秋の関東大会の成績は1勝9敗。春も1999年(平成11年)以降は0勝8敗。関東のレベルが上がったことや本命不在の千葉において選手の分散が加速していること、更には戦国千葉を避け県内の有力中学生が他県の私立に流れてしまうこと等が原因に考えられる。関東での千葉の地位低下は野球の質そのものにも影響を与え、かつての銚子商や習志野全盛期の野球王国時代や1980年代後半の拓大紅陵のような大型チームは姿を消し、好投手を中心に守り、接戦をモノにするパターンで他県の有力校と戦う試合が増えている。横浜、東海大相模、浦和学院、常総学院、帝京といった近隣の有力私立に選手が流れる傾向も浮きぼりになりつつある。
2003年(平成15年)春、関東大会が千葉で開催された。拓大紅陵が東日本最強の呼び声もあった東海大相模を倒し、好投手を持つ八千代松陰、銚子商も初戦突破。成田は敗れたものの強打の東海大甲府を苦しめ、ここ数年の関東での不審を一気に吐き出す活躍を見せ夏に期待を持たせた。
校名変更で悲願達成
昭和40年代の銚子商全盛期からそのライバルとして千葉の高校野球界の先頭を走っていながら、夏の甲子園にはあと一歩のところで涙を呑み一度も出場していない木更津総合が、2003年(平成15年)、ついに悲願を達成した。4月に旧校名・木更津中央から変わったばかりでいきなりの栄冠となった。木更津中央時代最後の前年は優勝した拓大紅陵と激戦を演じ、延長に入り2点のリードを奪いながらその裏に連続本塁打を浴び敗退したが、この年は安定した戦いぶりで銚子商、市立柏、志学館といった好投手を擁するチームを破っての初優勝となった。
甲子園は大会初日に登場。近年の千葉勢にはない長打攻勢で金沢に快勝した。2回戦では惜しくも涙を呑んだが、初出場でのびのびした試合ぶりで長年のファンを歓喜させた夏となった。
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